(放送:2012年11月21日/再放送:2012年11月27日)
探検バクモンスペシャル、「いじめ×爆笑問題」を見ました。
久々に爆問学問らしい そんな討論が見れるんじゃないかと思ってちゃんと見ました。
爆笑問題の2人と小島慶子さんがフリースクール・東京シューレを訪れた様子と、著名人を交えた議論をする場との2点で構成。
以下、内容をざーっとテキスト化。
1985年 フリースクール東京シューレ 創立。117名在籍。
服は制服がなく 自由な感じ。 教師を先生と呼ばない。○○さん とかアダ名で。
校長である奥地先生の部屋は『奥地ルーム』、職員室は『スタッフルーム』。
休憩時間中は生徒のたまり場にもなってて、教師と生徒が同じテーブルで食事してたり。
修学旅行などイベントは生徒主体になって決める。
生徒による、いじめを受けた経験の話―――――――――。
男子トイレに入っていく。小便器と個室が背を向けた配置になっている。
トイレで大ができないなどのために。個室も多くとってあったり、個室を閉めるトビラの上部はフツー隙間があるものの埋まっている。上から水かけられたり、モップ入れられたりの無いように。また防音効果もあるそうな。
トイレ自体にはドアを設けておらず、通りかかっても内部を気にするコトが出来るようになっている。
音楽準備室ではバンド演奏やってる生徒もいたり。『二息歩行』を鳴らしてた。(笑)
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
著名人を交えて いじめについての議論の様子。
はるかぜちゃん:「共通の敵をつくって、間違った友達をつくってる。」
志茂田景樹:「今は陰湿。閉塞感がある。」
《ナレーション》
①いじめは日本だけのことではない。
1969年 スウェーデンの学校医 ハイネマンによる“いじめの発覚”。
当時の研究社は身体能力の高い子がいじめっこの典型だと考えた。
―――――――しかし、
②いじめっこは、いじめられっこにもなる。
9割の子どもが、仲間はずれ、無視、陰口の経験があった。
ところが同じようないじめをした子も9割いた。
③“いじめ”は仲の良い子の間で起きる。
8割の子どもが「よく遊ぶ友達」、「ときどき話す友達」にいじめられている。
(森田洋司『いじめとは何か』中公新書より)
アメリカは“罰”でいじめをなくそうとしている。
休み時間にいじめが起こるのを防ぐため 休み時間は3分。仲間はずれをつくらないように食堂の席は決められている。
いじめを行った生徒は“ランチ謹慎”として別室にて先生の監視下のもとでの食事。
韓国。
いじめを報告すべく『暴力報告ポスト』が設置されている。
先生に報告するとプラス5点。 集会で表彰もされる。
いじめをした生徒は内容次第で減点。
警察も導入した“いじめ申告センター”もある。
◎いじめは何故 生まれるのか。
尾木ママ:「一つはストレスの発散。動物虐待と同じ。いじめをしながら癒されている 楽しさの歪み。」
サヘル・ローズ:「(自身がイラン人のために)麻薬とか不法滞在とかあると『お前もか』と言われたり。 階段から投げ飛ばされたり それも担任が見ている目の前でされているのに 見て見ぬフリするんです。」
はるかぜちゃん:「担任が事なかれ主義だと本当にツラくて。大体 人ってみんな 面倒なことを背負いたくないので逃げるんですよ。結構誰の中にもある感情で 全員が責任を背負いたくないから―――――――。」
はるかぜちゃん、資料としてオススメの本を紹介。
田中:「どうしてその本と出合ったの?」
はるかぜちゃん:「この本はAmazonで。」
一同:(笑)
NHKネットクラブによるアンケートの一部が紹介される。
『子どもに目を向けている時間がない』
『報告すると点数が下がるからじゃないですか?』など。。。
太田:「社会が悪い、ストレスが原因だってことにしちゃえば簡単なんだけど、もうちょっと…何か 昔といじめが変わったって言うけど 本当かな って。昔のいじめは牧歌的で許せた?」
志茂田:「今は(クラスに)帝王がいなくなっちゃった。今なんか平均化しちゃってるし。」
尾木ママ:「小さなグループの中で起きてて 仲間内の遊びだと思ってて先生たちも判断できなかったり。」
志茂田:「いじめは人間の本能に根ざしているところがある。簡単に言えば異端排除・異端狩り。中世ヨーロッパの魔女狩り的なところがあるんです。」
太田、田中のカタ玉についてからかう。
それについてプッと笑ってしまった氏家くん(一般の子)が、このあと田中に話題振られたとに、「ぼくだけ笑っちゃって…」と気にしてしまう。
サヘル・ローズ:「こういうことが誤解を生むんですよ!」
田中:「そんなつもりはなかったんだけど…。それも人によって違うからね。」
氏家くん:「(今の誤解の流れを汲みつつ、自身の経験について)笑いに変えようと おふざけキャラでやってたんですよ。掃除用具入れの中に入れられても『出してよーw』って言って。けど…(それが冗談でなくなった)」
《ナレーション》
内気でぽっちゃりだった寺西一雄少年(ROLLY)はナスのヘタ、りんごの芯、たまねぎの皮 と、要らないものを言われ続けた。ある日、掃除当番のじゃんけんを一雄が負けるまで何度も繰り返された。
帰り道も苦痛だった。いつもみんなの荷物を持たされた。顔にイヌのフンを押し付けられたり、メガネの中に毛虫を入れられたり。さんざんな毎日だった。
しかし一雄はこうしたいじめを誰の力を借りることもなく乗り越えたのだという。
ROLLY:「非常に精神的苦痛を感じてまして、それで考えた結果 何故か突然ですね、自分を客観的に捉える第三の目みたいなものが・俯瞰で見てる目が心の中に表われまして。 耐えている自分自身を見ていて、いつか何十年後かにこれを発表する時がくるんじゃないかと なんの確証もなく思ってみてたんです。 が、
今日ここで…!」
尾木ママ:「すごいですね。小学校3年で自分を俯瞰して捉えるって。これ大体4年の後半ですもんね発達の段階で。」
田中:「1年だけ…。(苦笑)」
サヘル・ローズ:「いじめた方とはそのあと会われたんですか?」
ROLLY:「はい。…………国家公務員になってました。(苦笑)」
(笑)
彦田さん(一般の子(? 女性))からROLLYさんへ、その耐えているときからどうやって突破口を開いたのかについてで、ROLLY:「それは自分で発見するしかない」と。志茂田:「受け皿のない人もいる~…」とか。
自殺しちゃう子はそれしかないから自殺を選んでしまう。
太田:「自殺は 復讐心が 思い知らせてやる っていう。」
はるかぜちゃん:「自分が死んだらいじめが発覚して、それでいじめたコたちは――――――――…」
太田:「後悔するだろう・キズつくだろう …ってね。そういう気持ちもあるとするならばですよ、いわゆる自殺もいじめじゃないですか。」
ROLLY:「自殺をして復讐した っていう。」
太田:「そう。いじめっこたちと同じ手段で おそらくその中の最大の武器を使った復讐じゃないかと。 でも 自殺しちゃったコはみんな責められないから、それはなかなか言いにくいけど。 でも、彼らに言ってあげるべきなの。これから自殺っていう手段を選ぶかもしれないとするならば、それはお前をいじめてるヤツらが キミが思ってるすごい卑怯ないじめっこたちと同じところに行っちゃうよ っていう。それでいいのか って思うんだよね。」
尾木ママ:「自殺したときはね、いじめてる加害者がまた自殺するんじゃないか ってこと、結構 学校現場では気にされて。僕も30年くらい いじめ研究やってきましたけども、いじめの加害者が被害者が亡くなったからといって、後追い…責任感じて後追い自殺した例はないですよ。これはゼロです。海外のケースを見ても無いんです。これは何故かっていうと、いじめの加害者は遊びだったと思ってるわけ。ほんとに。」
太田:「自殺っていうものを『そうじゃないんだよ』って言いたいんですよ。オマエのやり方は違うんだよ。と。」
彦田さん:「別に困らせたくてしてるんじゃなくて、自殺しかないからそれを選んでるワケで。じゃあ 死なない方法 教えてよ。」
太田:「つまり、死よりも生。生きることの方が楽しいんだって思えてれば 死なないわけでしょ。死よりも生がいいんだって確信がなくなったときに死を選ぶわけだから そうすると死よりも生が面白い・生きてるほうがいいと どう思わせるかですよね。 それはおそらく学校にある。生きていくヒントがこの中にあって、これをヒントにして見つけてけ っていうもので、実は学校にはその答えがあるんじゃないですか。」
《ナレーション》
◎学校が変わればいじめはなくなる?
寺子屋から始まったものが、
学校は制度化され、全ての子ども達は学校に通うべしとされたのだ。
明治時代の小学校の通信欄。
学校からは「学校に早く出せ」 ところが、
家庭からは「学校より早く帰せ」。
当時 子どもは貴重な労働力でもあったのだ。
各自 学校に反発し、学校を焼き討ちする親まで現れた。 学校は今のような存在ではなかったのだ。
その後。次第に学校の存在は定着。決められた時間に決められた内容を学ぶことが当たり前になった。
学校はそこで目指すべき人間像を教え始めたのだ。 二宮金次郎はそのシンボル。
戦争が始まると 国のためにあるのが理想とされた。子ども達は身を削り・汗を流した。
しかし日本は敗戦。しばらくすると学歴社会の波が子どもたちをさらった。
よい点数をとり よい学校に進学することを求められるようになったのだ。
激しい競争が子ども達の中に求められたこの時代。落ちこぼれ・非行・校内暴力が騒がれるようになった。
そしてこの頃 校内でいじめが発見。
学級崩壊・ゆとり・学力低下と紆余曲折があった。
……誕生から140年。学校はなんだろうか――――――――――…。
尾木ママ:「学校っていうのは今の状態で言えばやっぱりねぇ、人材育成の機関になっちゃってますよね。それは戦争中は軍隊のための軍人さんだし 戦後・経済界、いい働き手に。 すると、そっから外れるコはあれ? っていうので順位がついたり、いじめの対象になったりとか。
学校っていうのは画一の非常に効率のいい人材を育成する機関。あるジャーナリストは教育工場と呼んだ人もいますよね。そんなイメージになっちゃってるのが、今の学校かな っていうふうに思います。」
太田:「だとすると、制度自体を 私塾とか寺子屋・藩校みたいな時代のあり方に―――…?」
尾木ママ:「戻すんじゃなくて、学校の多様化っていうの それを認めていけばもっと楽ができるのに、ここに来なければダメよ って言っちゃうからキツくなるんだと思う。」
滝 充(国立教育政策研究所):「教育の機会の平等。そういうのはいい。“総合的な学習の時間”が取られるようになったけど、真っ先に学校の先生から“どうやって教えたらいいか 教えてください”って出てきた。」
再び東京シューレ。
“でこぼこルーム”という教室の壁を取っ払った部屋。授業に出るのが辛くなったときは強制しない。
ペースや個性や状況を尊重している。
校内を道中、階段のとこに壁に絵や星座などが描かれてある。
“個人学習室”個人の時間割“マイコース”を自分でつくることができる。将棋をやってたり、絵を描いてたり。
パテーションで仕切られた学習机で塾の宿題をやってるコもいたり。
奥地:「出たくないものを強制にやらせるよりも、個性や興味を伸ばすほうが自信になったり楽しいと思えたりする。」
“ホームスクールホーム”へ。
小島さんから緩いことについて親御さんから何か言われたりしませんか?というコトについて、
奥地:「8割・9割の子は高校に進学します。根をしっかり張っていれば大風が来てもやっていける。一般的な学校が合う子ばかりじゃない。」
再び議論の場。
太田:「俺は笑いはいじめそのものだと思っているわけですよ。下手すれば俺のやっていることは人を殺すなと思うのね。だから、お笑い、テレビ番組はいじめとは違いますっていう論理は、うちの学校にいじめはありませんって言っているやつと同じことだと思うね。人を馬鹿にして笑ったことがない人っていますかっていう。
人がずっこけるのはおかしいんですよ。それと同時にやっぱりそこに共感があるんですよ。サディスティックな快感も、もちろんあるんだけれども、「ああ、分かる、この気持ち」っていう。共感もして笑ってるはずなんだよね。人が死ぬ原因になるものと、人が生きる糧になるものは、本当に同じ場所にあって、例えば幸福と不幸とかさ、憎しみと愛情とかってさ、本当に同じものじゃないですか。」
刃物をね、下手に子どもが振り回したら、人を傷つけるのと同じだから。
田中:「だからといって刃物を世の中からなくしていいのか?・・・ということと同じなんだね。」
太田:「そういう風に俺は思うけどね。」
という内容で。
“学校”での、”いじめ”ってコトと、それに伴う“自殺”っていうコトだけど、それぞれが絡み合っていながらも独立した問題も抱えてるから難しいな とも思うワケで。
まぁ、そもそも前提として、「いじめは起きるものだ」っていう。最後の太田さんの発言じゃないですけど。
人との違いや、人がしたちょっとしたおかしさを笑うワケですから。
カタ玉についてもそれは田中との信頼があるからで、っていうか殆どのお笑いは信頼をもとに貶めあってるようなものですから。ただ、それを公に『信頼し、尊敬しあってます!』とか言ってしまうと面白くないワケで。
けどそれを見る一般視聴者は、ほんとうにバカにし合ってるように解釈して、それを学校とか日常の場でも真似するもので。
氏家くんがキャラとしてふざけてみた って言ってたけど、そのいじめになる関係性で、『仲の良い子との間で起こる』って番組中であったけど、それ別に仲良くないからね。
それは子ども同士の友達関係の作り方が曖昧というかハードルが低いというか、緩いゆえにそう思うのかもしれないけど。
友達ならバカにしてもいいって思えるまでの間柄になるまでに、どれほどの密度のある信頼関係を築いてきたかなんて知り得ないですからね。
(前にブラックマヨネーズのWikipediaを見たときに、吉田氏が小杉氏のハゲいじりについて積極的ではなかったコトなどが書かれてあったからね。)
自殺がいじめっこのしてるコトと同義である という太田さんの見解については反対。
それは太田さんが毒舌(というかKYというかタブーに触れるような発言を多くしてる)だから、それによって深いキズを与えることからの逆のダメージが来ることへの恐れからじゃないか? って思うんですよね。
ま、私自身もそういう気持ちありますけどね、その復讐心での自殺 っていうのは。
前、『死ねばいいのに』ってエントリで書いたことにも絡みますけど。相手を殺すなら自分も死ぬ気で。
自殺するならド派手に、後悔と苦痛が相手の生涯を苦しませ続けるように。と。
だってそれくらいの「生きる希望が無いくらい追い込んでくれた」わけですからね。(ニッコリ
っていうか、自殺については別で取り上げてほしいくらいですけどね。
職場での自殺や、焼身自殺とかそういうものが込められた意味が、その意味をこめたがる大人とかね。
いじめとか自殺については学校・子どもでの事情に留まらず、大人の社会でのコトも重要なんですけどね。当たり前ですけど。
大人の社会のマネを、子どもはただしてるだけですから。
学校の変遷に伴う、学校が子どもへ求めるコトや教育についても、戦前・戦争中・戦後でも異なることが自明なんですから、大人の事情に子どもを付き合わせてるだけ。
自殺について 加害者側が後追いについての話で尾木ママがキッパリと『無いです!』とお話しされてたのはこの番組がとても資料として有効になりますね。あぁやっぱりかと。
ローリーさんがいじめっこが国家公務員になってた って話にしても、別に加害者側の方は自然発生的な競争の原理・弱肉強食の中にあって、そこで蹴落としてきたものなど気にもするハズがない っていうのが見事に証明されてますね。
人材育成の機関・教育工場という中で作られてきた人たちの中で“不良品”となった人たちを周りが排除して差し上げてるという。これは大人がつくった社会。
尾木ママと奥地先生が言ってたことは共通してて、多様性とか個性を認め・伸ばしていくことが重要なんでしょうね。それは仮に社会が良い働き手だと認めなかったとしても・社会にとっての優位性や価値の重きがなかったとしても。
はるかぜちゃんが紹介されてた『わたしのせいじゃない』っていう責任については耳の痛い話ではあるんだけどこれも極論になっちゃうと、責任を感じる人はなんでも重く感じるだろうし、感じない人は全く感じないから一概に言えないというか、他者が糾弾していい問題でもないんですよねぇ。
全体として問題提起しかできないんですよね、こういうのって。
対策として個人の問題ではあるんですけど社会として広義の認識を改めるためには価値観や大人の慣習を刷新する必要もあるしで、人間の質の部分での大きな改善を求めるしかないんですよ。
格差や就職難など、今度の選挙で問題になりそうなもの全部が課題なんですよ。けど強者の論理ばかりで何も変わらないのが関の山で。
まぁ、尾木ママの見解や、はるかぜちゃんの意見。東京シューレでの実践の内容が 多少の助けになるのではないかな とは思いました。
探検バクモンスペシャル、「いじめ×爆笑問題」を見ました。
久々に爆問学問らしい そんな討論が見れるんじゃないかと思ってちゃんと見ました。
爆笑問題の2人と小島慶子さんがフリースクール・東京シューレを訪れた様子と、著名人を交えた議論をする場との2点で構成。
以下、内容をざーっとテキスト化。
1985年 フリースクール東京シューレ 創立。117名在籍。
服は制服がなく 自由な感じ。 教師を先生と呼ばない。○○さん とかアダ名で。
校長である奥地先生の部屋は『奥地ルーム』、職員室は『スタッフルーム』。
休憩時間中は生徒のたまり場にもなってて、教師と生徒が同じテーブルで食事してたり。
修学旅行などイベントは生徒主体になって決める。
生徒による、いじめを受けた経験の話―――――――――。
男子トイレに入っていく。小便器と個室が背を向けた配置になっている。
トイレで大ができないなどのために。個室も多くとってあったり、個室を閉めるトビラの上部はフツー隙間があるものの埋まっている。上から水かけられたり、モップ入れられたりの無いように。また防音効果もあるそうな。
トイレ自体にはドアを設けておらず、通りかかっても内部を気にするコトが出来るようになっている。
音楽準備室ではバンド演奏やってる生徒もいたり。『二息歩行』を鳴らしてた。(笑)
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
著名人を交えて いじめについての議論の様子。
はるかぜちゃん:「共通の敵をつくって、間違った友達をつくってる。」
志茂田景樹:「今は陰湿。閉塞感がある。」
《ナレーション》
①いじめは日本だけのことではない。
1969年 スウェーデンの学校医 ハイネマンによる“いじめの発覚”。
当時の研究社は身体能力の高い子がいじめっこの典型だと考えた。
―――――――しかし、
②いじめっこは、いじめられっこにもなる。
9割の子どもが、仲間はずれ、無視、陰口の経験があった。
ところが同じようないじめをした子も9割いた。
③“いじめ”は仲の良い子の間で起きる。
8割の子どもが「よく遊ぶ友達」、「ときどき話す友達」にいじめられている。
(森田洋司『いじめとは何か』中公新書より)
アメリカは“罰”でいじめをなくそうとしている。
休み時間にいじめが起こるのを防ぐため 休み時間は3分。仲間はずれをつくらないように食堂の席は決められている。
いじめを行った生徒は“ランチ謹慎”として別室にて先生の監視下のもとでの食事。
韓国。
いじめを報告すべく『暴力報告ポスト』が設置されている。
先生に報告するとプラス5点。 集会で表彰もされる。
いじめをした生徒は内容次第で減点。
警察も導入した“いじめ申告センター”もある。
◎いじめは何故 生まれるのか。
尾木ママ:「一つはストレスの発散。動物虐待と同じ。いじめをしながら癒されている 楽しさの歪み。」
サヘル・ローズ:「(自身がイラン人のために)麻薬とか不法滞在とかあると『お前もか』と言われたり。 階段から投げ飛ばされたり それも担任が見ている目の前でされているのに 見て見ぬフリするんです。」
はるかぜちゃん:「担任が事なかれ主義だと本当にツラくて。大体 人ってみんな 面倒なことを背負いたくないので逃げるんですよ。結構誰の中にもある感情で 全員が責任を背負いたくないから―――――――。」
はるかぜちゃん、資料としてオススメの本を紹介。
わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ)
(1996/01)
レイフ クリスチャンソン
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田中:「どうしてその本と出合ったの?」
はるかぜちゃん:「この本はAmazonで。」
一同:(笑)
NHKネットクラブによるアンケートの一部が紹介される。
『子どもに目を向けている時間がない』
『報告すると点数が下がるからじゃないですか?』など。。。
太田:「社会が悪い、ストレスが原因だってことにしちゃえば簡単なんだけど、もうちょっと…何か 昔といじめが変わったって言うけど 本当かな って。昔のいじめは牧歌的で許せた?」
志茂田:「今は(クラスに)帝王がいなくなっちゃった。今なんか平均化しちゃってるし。」
尾木ママ:「小さなグループの中で起きてて 仲間内の遊びだと思ってて先生たちも判断できなかったり。」
志茂田:「いじめは人間の本能に根ざしているところがある。簡単に言えば異端排除・異端狩り。中世ヨーロッパの魔女狩り的なところがあるんです。」
太田、田中のカタ玉についてからかう。
それについてプッと笑ってしまった氏家くん(一般の子)が、このあと田中に話題振られたとに、「ぼくだけ笑っちゃって…」と気にしてしまう。
サヘル・ローズ:「こういうことが誤解を生むんですよ!」
田中:「そんなつもりはなかったんだけど…。それも人によって違うからね。」
氏家くん:「(今の誤解の流れを汲みつつ、自身の経験について)笑いに変えようと おふざけキャラでやってたんですよ。掃除用具入れの中に入れられても『出してよーw』って言って。けど…(それが冗談でなくなった)」
《ナレーション》
内気でぽっちゃりだった寺西一雄少年(ROLLY)はナスのヘタ、りんごの芯、たまねぎの皮 と、要らないものを言われ続けた。ある日、掃除当番のじゃんけんを一雄が負けるまで何度も繰り返された。
帰り道も苦痛だった。いつもみんなの荷物を持たされた。顔にイヌのフンを押し付けられたり、メガネの中に毛虫を入れられたり。さんざんな毎日だった。
しかし一雄はこうしたいじめを誰の力を借りることもなく乗り越えたのだという。
ROLLY:「非常に精神的苦痛を感じてまして、それで考えた結果 何故か突然ですね、自分を客観的に捉える第三の目みたいなものが・俯瞰で見てる目が心の中に表われまして。 耐えている自分自身を見ていて、いつか何十年後かにこれを発表する時がくるんじゃないかと なんの確証もなく思ってみてたんです。 が、
今日ここで…!」
尾木ママ:「すごいですね。小学校3年で自分を俯瞰して捉えるって。これ大体4年の後半ですもんね発達の段階で。」
田中:「1年だけ…。(苦笑)」
サヘル・ローズ:「いじめた方とはそのあと会われたんですか?」
ROLLY:「はい。…………国家公務員になってました。(苦笑)」
(笑)
彦田さん(一般の子(? 女性))からROLLYさんへ、その耐えているときからどうやって突破口を開いたのかについてで、ROLLY:「それは自分で発見するしかない」と。志茂田:「受け皿のない人もいる~…」とか。
自殺しちゃう子はそれしかないから自殺を選んでしまう。
太田:「自殺は 復讐心が 思い知らせてやる っていう。」
はるかぜちゃん:「自分が死んだらいじめが発覚して、それでいじめたコたちは――――――――…」
太田:「後悔するだろう・キズつくだろう …ってね。そういう気持ちもあるとするならばですよ、いわゆる自殺もいじめじゃないですか。」
ROLLY:「自殺をして復讐した っていう。」
太田:「そう。いじめっこたちと同じ手段で おそらくその中の最大の武器を使った復讐じゃないかと。 でも 自殺しちゃったコはみんな責められないから、それはなかなか言いにくいけど。 でも、彼らに言ってあげるべきなの。これから自殺っていう手段を選ぶかもしれないとするならば、それはお前をいじめてるヤツらが キミが思ってるすごい卑怯ないじめっこたちと同じところに行っちゃうよ っていう。それでいいのか って思うんだよね。」
尾木ママ:「自殺したときはね、いじめてる加害者がまた自殺するんじゃないか ってこと、結構 学校現場では気にされて。僕も30年くらい いじめ研究やってきましたけども、いじめの加害者が被害者が亡くなったからといって、後追い…責任感じて後追い自殺した例はないですよ。これはゼロです。海外のケースを見ても無いんです。これは何故かっていうと、いじめの加害者は遊びだったと思ってるわけ。ほんとに。」
太田:「自殺っていうものを『そうじゃないんだよ』って言いたいんですよ。オマエのやり方は違うんだよ。と。」
彦田さん:「別に困らせたくてしてるんじゃなくて、自殺しかないからそれを選んでるワケで。じゃあ 死なない方法 教えてよ。」
太田:「つまり、死よりも生。生きることの方が楽しいんだって思えてれば 死なないわけでしょ。死よりも生がいいんだって確信がなくなったときに死を選ぶわけだから そうすると死よりも生が面白い・生きてるほうがいいと どう思わせるかですよね。 それはおそらく学校にある。生きていくヒントがこの中にあって、これをヒントにして見つけてけ っていうもので、実は学校にはその答えがあるんじゃないですか。」
《ナレーション》
◎学校が変わればいじめはなくなる?
寺子屋から始まったものが、
学校は制度化され、全ての子ども達は学校に通うべしとされたのだ。
明治時代の小学校の通信欄。
学校からは「学校に早く出せ」 ところが、
家庭からは「学校より早く帰せ」。
当時 子どもは貴重な労働力でもあったのだ。
各自 学校に反発し、学校を焼き討ちする親まで現れた。 学校は今のような存在ではなかったのだ。
その後。次第に学校の存在は定着。決められた時間に決められた内容を学ぶことが当たり前になった。
学校はそこで目指すべき人間像を教え始めたのだ。 二宮金次郎はそのシンボル。
戦争が始まると 国のためにあるのが理想とされた。子ども達は身を削り・汗を流した。
しかし日本は敗戦。しばらくすると学歴社会の波が子どもたちをさらった。
よい点数をとり よい学校に進学することを求められるようになったのだ。
激しい競争が子ども達の中に求められたこの時代。落ちこぼれ・非行・校内暴力が騒がれるようになった。
そしてこの頃 校内でいじめが発見。
学級崩壊・ゆとり・学力低下と紆余曲折があった。
……誕生から140年。学校はなんだろうか――――――――――…。
尾木ママ:「学校っていうのは今の状態で言えばやっぱりねぇ、人材育成の機関になっちゃってますよね。それは戦争中は軍隊のための軍人さんだし 戦後・経済界、いい働き手に。 すると、そっから外れるコはあれ? っていうので順位がついたり、いじめの対象になったりとか。
学校っていうのは画一の非常に効率のいい人材を育成する機関。あるジャーナリストは教育工場と呼んだ人もいますよね。そんなイメージになっちゃってるのが、今の学校かな っていうふうに思います。」
太田:「だとすると、制度自体を 私塾とか寺子屋・藩校みたいな時代のあり方に―――…?」
尾木ママ:「戻すんじゃなくて、学校の多様化っていうの それを認めていけばもっと楽ができるのに、ここに来なければダメよ って言っちゃうからキツくなるんだと思う。」
滝 充(国立教育政策研究所):「教育の機会の平等。そういうのはいい。“総合的な学習の時間”が取られるようになったけど、真っ先に学校の先生から“どうやって教えたらいいか 教えてください”って出てきた。」
再び東京シューレ。
“でこぼこルーム”という教室の壁を取っ払った部屋。授業に出るのが辛くなったときは強制しない。
ペースや個性や状況を尊重している。
校内を道中、階段のとこに壁に絵や星座などが描かれてある。
“個人学習室”個人の時間割“マイコース”を自分でつくることができる。将棋をやってたり、絵を描いてたり。
パテーションで仕切られた学習机で塾の宿題をやってるコもいたり。
奥地:「出たくないものを強制にやらせるよりも、個性や興味を伸ばすほうが自信になったり楽しいと思えたりする。」
“ホームスクールホーム”へ。
小島さんから緩いことについて親御さんから何か言われたりしませんか?というコトについて、
奥地:「8割・9割の子は高校に進学します。根をしっかり張っていれば大風が来てもやっていける。一般的な学校が合う子ばかりじゃない。」
再び議論の場。
太田:「俺は笑いはいじめそのものだと思っているわけですよ。下手すれば俺のやっていることは人を殺すなと思うのね。だから、お笑い、テレビ番組はいじめとは違いますっていう論理は、うちの学校にいじめはありませんって言っているやつと同じことだと思うね。人を馬鹿にして笑ったことがない人っていますかっていう。
人がずっこけるのはおかしいんですよ。それと同時にやっぱりそこに共感があるんですよ。サディスティックな快感も、もちろんあるんだけれども、「ああ、分かる、この気持ち」っていう。共感もして笑ってるはずなんだよね。人が死ぬ原因になるものと、人が生きる糧になるものは、本当に同じ場所にあって、例えば幸福と不幸とかさ、憎しみと愛情とかってさ、本当に同じものじゃないですか。」
刃物をね、下手に子どもが振り回したら、人を傷つけるのと同じだから。
田中:「だからといって刃物を世の中からなくしていいのか?・・・ということと同じなんだね。」
太田:「そういう風に俺は思うけどね。」
という内容で。
“学校”での、”いじめ”ってコトと、それに伴う“自殺”っていうコトだけど、それぞれが絡み合っていながらも独立した問題も抱えてるから難しいな とも思うワケで。
まぁ、そもそも前提として、「いじめは起きるものだ」っていう。最後の太田さんの発言じゃないですけど。
人との違いや、人がしたちょっとしたおかしさを笑うワケですから。
カタ玉についてもそれは田中との信頼があるからで、っていうか殆どのお笑いは信頼をもとに貶めあってるようなものですから。ただ、それを公に『信頼し、尊敬しあってます!』とか言ってしまうと面白くないワケで。
けどそれを見る一般視聴者は、ほんとうにバカにし合ってるように解釈して、それを学校とか日常の場でも真似するもので。
氏家くんがキャラとしてふざけてみた って言ってたけど、そのいじめになる関係性で、『仲の良い子との間で起こる』って番組中であったけど、それ別に仲良くないからね。
それは子ども同士の友達関係の作り方が曖昧というかハードルが低いというか、緩いゆえにそう思うのかもしれないけど。
友達ならバカにしてもいいって思えるまでの間柄になるまでに、どれほどの密度のある信頼関係を築いてきたかなんて知り得ないですからね。
(前にブラックマヨネーズのWikipediaを見たときに、吉田氏が小杉氏のハゲいじりについて積極的ではなかったコトなどが書かれてあったからね。)
自殺がいじめっこのしてるコトと同義である という太田さんの見解については反対。
それは太田さんが毒舌(というかKYというかタブーに触れるような発言を多くしてる)だから、それによって深いキズを与えることからの逆のダメージが来ることへの恐れからじゃないか? って思うんですよね。
ま、私自身もそういう気持ちありますけどね、その復讐心での自殺 っていうのは。
前、『死ねばいいのに』ってエントリで書いたことにも絡みますけど。相手を殺すなら自分も死ぬ気で。
自殺するならド派手に、後悔と苦痛が相手の生涯を苦しませ続けるように。と。
だってそれくらいの「生きる希望が無いくらい追い込んでくれた」わけですからね。(ニッコリ
っていうか、自殺については別で取り上げてほしいくらいですけどね。
職場での自殺や、焼身自殺とかそういうものが込められた意味が、その意味をこめたがる大人とかね。
いじめとか自殺については学校・子どもでの事情に留まらず、大人の社会でのコトも重要なんですけどね。当たり前ですけど。
大人の社会のマネを、子どもはただしてるだけですから。
学校の変遷に伴う、学校が子どもへ求めるコトや教育についても、戦前・戦争中・戦後でも異なることが自明なんですから、大人の事情に子どもを付き合わせてるだけ。
自殺について 加害者側が後追いについての話で尾木ママがキッパリと『無いです!』とお話しされてたのはこの番組がとても資料として有効になりますね。あぁやっぱりかと。
ローリーさんがいじめっこが国家公務員になってた って話にしても、別に加害者側の方は自然発生的な競争の原理・弱肉強食の中にあって、そこで蹴落としてきたものなど気にもするハズがない っていうのが見事に証明されてますね。
人材育成の機関・教育工場という中で作られてきた人たちの中で“不良品”となった人たちを周りが排除して差し上げてるという。これは大人がつくった社会。
尾木ママと奥地先生が言ってたことは共通してて、多様性とか個性を認め・伸ばしていくことが重要なんでしょうね。それは仮に社会が良い働き手だと認めなかったとしても・社会にとっての優位性や価値の重きがなかったとしても。
はるかぜちゃんが紹介されてた『わたしのせいじゃない』っていう責任については耳の痛い話ではあるんだけどこれも極論になっちゃうと、責任を感じる人はなんでも重く感じるだろうし、感じない人は全く感じないから一概に言えないというか、他者が糾弾していい問題でもないんですよねぇ。
全体として問題提起しかできないんですよね、こういうのって。
対策として個人の問題ではあるんですけど社会として広義の認識を改めるためには価値観や大人の慣習を刷新する必要もあるしで、人間の質の部分での大きな改善を求めるしかないんですよ。
格差や就職難など、今度の選挙で問題になりそうなもの全部が課題なんですよ。けど強者の論理ばかりで何も変わらないのが関の山で。
まぁ、尾木ママの見解や、はるかぜちゃんの意見。東京シューレでの実践の内容が 多少の助けになるのではないかな とは思いました。
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2012.02.23.O.A.
爆問学問 FILE175:「大江戸ブックレビュー!」を見ました。
以下はHPより対談内容をコピペ。↓
中野三敏(なかのみつとし)日本近世文学研究者。
文化功労者、九州大学名誉教授(元文学部長)。
録画しておいたものを最近になってようやく見ました。
神田神保町は1回行ったことがあるだけで、その時のこと思い出しても、やっぱりあの街並みはいい景色なんですよねぇ。
(この放送ぶんが 以前やったブラタモリっぽいなぁ とも見てて思いましたが。w)
フツーに色んな本屋さんを渡り歩いて立ち読みしてるだけでホントもぉワクワクするですよ。
西日が射さないようにと、本屋のあるほうと無いほうの通りで分かれてるとは知りませんでした。
解体新書が置いてあるとわ…。相場で300~400万 ってあったけど……妥当?w や、これくらいならマニアの人は容易に手が出せるんじゃないかな、って思った。w
『活字にしないと読めない』『活字になってるのは1割程度』とあったけど、これ、活字になってても、使われてる言葉が当時の言葉で、漢文とか使われてるのがあると、今の時代の私がそれを読もうとしてみると読むのに難儀ですわ。。。
雑本が数百円で手に入ること自体は、読めなくても興味だけでボーっと眺めるだけで面白いと思いますが。
その、雑本のような、江戸の暮らしぶりが分かるような…それこそ田中氏が言ってたような『武士の家計簿』のような。
ほとんど外国のような暮らしだという先入観を持っていた江戸時代の生活が、こうした日常が綴られたものから分かることによって親近感を覚えるもので。
で、だからこそ、コピペした対談内容に明記されるように、昔と今と 武士(=官僚・政治家)と、どういった違いが生まれてしまったがゆえに、このような弊害が生じているのかと。責任というもののと、何か別の権限というものが働いてるからなのか? とかね。
番組最後に、春画本を…所謂、エロ本を出されたみたいですが……w
そんなにすごいんですか?w
中野:「学術的な話をしてるわけですから」
そう!人体の研究ですよね!ええ!!(←
で、
この放送ぶんで、爆問学問は最終回というコトで。
ちょっと前とか宇宙をテーマにしたものとかやってたので、結構面白かったんですけど、現在、『探検バクモン』になって、バラエティ要素が増えてしまうんでしょうか。
爆問学問 FILE175:「大江戸ブックレビュー!」を見ました。
以下はHPより対談内容をコピペ。↓
中野:「これは「異扱要覧」という、今で言う交番のお巡りさんの心得。「持ち場境目に浮き死骸これあり候らわば、足の方にて引き受け、取り計り候こと」・・・つまり、それぞれの持ち場の両方にまたがって(水死体が)浮いていた場合には、頭の方じゃなくて足の方の係の者がやるべきだ、と。そこまで細かく決めているんですよ。江戸の街の治安の良さっていうのはね、まさにこういうので分かるわけです。」
太田:「いろんなことを想定して、前もって決めておく。」
中野:「町人が侍とけんかを始めた時には、町人の言うことをちゃんと聞いて、侍の方に非があったならば切腹をさせろと。江戸の侍だといっても、威張りくさって「抜き打ち、切捨御免」なんてことはまずあり得ない。」
太田:「こないだの原発事故の報告書なんか読んでいると、「想定外」、こんなことが起きるって思ってなかったことがいっぱい重なっているんですよ。法律やマニュアル、原発でこういう場合こうしましょうってマニュアルはあるんだけど、それに載っていないことが、ここ(江戸時代の「異扱要覧」)にはあるわけじゃない? 土左衛門の足が来たらそっちで引き取れとかって、法律じゃないわけじゃない。想像力だよね。法律と、実際に起きることの間のマニュアルが必要なんだよ、きっと。」
中野:「江戸のものを読むとね、人間の出来具合の違いっていうのがものすごくよく分かりますよ。特に侍ね。江戸の侍っていうのは、結局今で言う官僚か政治家ですよ。官僚か政治家がね、最終的に切腹というところで自分の責任を取る、ということがしっかり根付いていれば、治められる側はそれを信頼していることが出来るわけですよ。ところがそういう責任というのが、今の3・11にしたって、誰が責任を取ったか全く分からないじゃない。だからそれはやっぱり、江戸の方がはるかに進んでたんじゃないのかなと思いますね。」
中野三敏(なかのみつとし)日本近世文学研究者。
文化功労者、九州大学名誉教授(元文学部長)。
録画しておいたものを最近になってようやく見ました。
神田神保町は1回行ったことがあるだけで、その時のこと思い出しても、やっぱりあの街並みはいい景色なんですよねぇ。
(この放送ぶんが 以前やったブラタモリっぽいなぁ とも見てて思いましたが。w)
フツーに色んな本屋さんを渡り歩いて立ち読みしてるだけでホントもぉワクワクするですよ。
西日が射さないようにと、本屋のあるほうと無いほうの通りで分かれてるとは知りませんでした。
解体新書が置いてあるとわ…。相場で300~400万 ってあったけど……妥当?w や、これくらいならマニアの人は容易に手が出せるんじゃないかな、って思った。w
『活字にしないと読めない』『活字になってるのは1割程度』とあったけど、これ、活字になってても、使われてる言葉が当時の言葉で、漢文とか使われてるのがあると、今の時代の私がそれを読もうとしてみると読むのに難儀ですわ。。。
雑本が数百円で手に入ること自体は、読めなくても興味だけでボーっと眺めるだけで面白いと思いますが。
その、雑本のような、江戸の暮らしぶりが分かるような…それこそ田中氏が言ってたような『武士の家計簿』のような。
ほとんど外国のような暮らしだという先入観を持っていた江戸時代の生活が、こうした日常が綴られたものから分かることによって親近感を覚えるもので。
で、だからこそ、コピペした対談内容に明記されるように、昔と今と 武士(=官僚・政治家)と、どういった違いが生まれてしまったがゆえに、このような弊害が生じているのかと。責任というもののと、何か別の権限というものが働いてるからなのか? とかね。
番組最後に、春画本を…所謂、エロ本を出されたみたいですが……w
そんなにすごいんですか?w
中野:「学術的な話をしてるわけですから」
そう!人体の研究ですよね!ええ!!(←
で、
この放送ぶんで、爆問学問は最終回というコトで。
ちょっと前とか宇宙をテーマにしたものとかやってたので、結構面白かったんですけど、現在、『探検バクモン』になって、バラエティ要素が増えてしまうんでしょうか。
2012.02.16.O.A. (2012.02.20.夜中 再放送)
爆問学問 FILE174:「天才心臓外科医の告白」を見ました。
・南淵明宏(なぶちあきひろ)[心臓外科] 1983年、奈良県立医科大学卒。医学博士。
2010年12月より東京ハートセンター・センター長に就任。
以下、番組内容を大体テキスト化。↓
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
田中:「一体どれだけ執刀されてるんですか。」
南淵:「ぼくはだいたい年間300…。年間200を売りにしてるんですが、今年はサボってて180.」
田中:「2日に1回」
南淵:「あまり術者が難しい顔してたら、「大変なことになるんじゃないか」って思ったりしますよ。冗談なんか言ってると「あ~今日は問題なく手術終わるんだな」って思ったりする。そういう雰囲気 醸し出すために」
田中:「先生もこう、リラックスして」
南淵:「えぇ、冗談言うんですけど…おもしろいかどうか分からないですけど。全然無理やり笑ってくれたりしますよ。「はずしたな」なんて思いながら。」
本来、人工心臓を使うものの、心臓が動いたまま執刀をする。
南淵:「あまり重要じゃない血管を心臓に持ってきて、重要な命綱の血管にする。」
田中:「それをバイパス手術というわけですね」
南淵:「そうですね。新たにまったく作ったり、アメリカ製のを輸入って出来ないんです。要するに 人工的なものはダメなんです。細かい・細い血管。直径1mmとか2mmだから すぐ血が詰まっちゃう・固まっちゃう。やっぱり人間のもの(血管)を使わざるをえない。」
南淵:「心臓じゃないところで練習しても 現実とは違いますからね。いい意味での緊張とプレッシャー。うまくいかないとこの人死んじゃうわけだから。この日まで患者さん、不安もあって前の日とか不安で眠れないとかあるわけですから この手術に挑んでるわけですよね。やっぱり外科手術ってのは根本的にもうひどいことをするんよね。それを自覚したうえで『しっかり結果を出さなきゃいけないな』っていう。それはいつも思ってますよね。」
南淵:「さっき太田さん ミスっていったけど、思い通りにいかない(アクシデント)なんてしょっちゅうですよね。やっぱこう 患者さんによっては 内胸動脈がすごいもろかったり、つかんだだけでビリッと破れちゃったり あるいは冠動脈のほう…実際縫ってるとき割れちゃったりとか。そのときどんなワザでまたリカバリーショットを打てるか っていうのがまた大事かなと思いますね。」
南淵:「やっぱね、手術やってるときは 目の前の患者さんを助けなきゃってのはあるんだけど、ホント自分本位で申し訳ないんだけど、人殺しには絶対なりたくない。だから慈悲の心でね。「おれは助けてやるんだ!」っていうそういうことでは無いんですよ。いい意味でね分かってほしいんですよ。やっぱりこう運命共同体的な。」
田中:「すごくリアルな」
南淵:「そういうところではありますね。だからもうしっかりやらなきゃいけない。っていうのはあります。」
南淵:「やっぱね、医者って…どんな仕事もそうだけど、いい意味で臆病じゃないとダメですよ」
田中:「慎重であり大胆に」
南淵:「大胆であることは大前提…大胆に進む中すごい臆病で。」
手術に使う糸を見せてもらう。糸は直径0.05mm先端には縫いやすいように曲がった針が付いている。
4倍の拡大鏡を付けて、爆笑問題の2人が実際に縫うことを挑戦してみるも、なかなかうまくいかない。
田中:「遠近が難しい。」
南淵:「バイパス手術始まって、30年以上経ってますけど、やっぱ色々開発…開発っていうか研究されてるんです。 結局30年前と同じ方法 手で縫う。 接着剤とか色んなアイデアあるんですけど、結局 最終的にはこれが一番いい。」
人工心臓弁。
南淵:「これも30年以上デザインが変わってないんです。」
生体弁。
南淵:「牛の心膜。生体弁は薬がいらないんです。でもこれは20年くらいしかもたないんです。こっち(機械弁(人工心臓弁))はね、400年もつ。」
南淵:「患者さんにね、『30年これ使ってるんです』って言うと安心するんですよ。だって『昨日できたばかりの新製品であなたが第1号です』なんて言われると『ええ~!』って思うじゃないですか。 医療で『最先端』とかいうキャッチコピーの意味がよく分からない。」
南淵:「動いている心臓ってすごいと思うんですよ。だって1日10万回勝手に動いてるんですよ。僕が寝てる間もずっと動いてる。そういうの見てるとなんか…なんで僕らってこんなふうに生かしてもらってるんだろう。心臓って動いてくれてるんだろう ってね。 太田さんなんて心臓に感謝しなくてはいけないなんて…しないの?」
太田:「(苦笑)…普段あんま考えないですねぇ。生きてるのが当たり前だと思ってるからね。」
田中:「動いてることにいちいち気にしてたら気が気じゃないよね。逆にね。 おれ1回あってね、人間ドック受けて、軽い不整脈みたいのがあったらしいんですよ。別に再検査もする必要ないようなレベルで。ね、それが、“心室性期外収縮(心室から異常な調律が起こって 脈が不規則になること))”ってヤツ、が見られます って書いてあるんですよ。いきなりそれ見たら 重大な心臓病かと思っちゃうんですよ。 ドキドキした。 心臓って普段意識してないけどね、ひとたび意識するとね なんかこう…なんだろうこの動悸って。」
太田:「心臓ってまぁ、人間の基本だと思うんだけど、心臓が止まりゃあ死じゃないですか。まぁ脳は脳死っていうのがあるかもしれないけど。まぁでも一番のキモですよね。で、それを生かすってことをずっとやり続けるじゃないですか。哲学的なこととか考えたりするんですか? たとえば人間の生命っていうのを こうやって延命していくこと っていうのは どういう意味があるんだろう ってこととか。」
南淵:「や、それは考えますよね。」
太田:「考える。」
南淵:「やっぱり心臓の手術をするくらいの人って すごい重症だし、心臓の手術自体すごい大掛かりだし…さっき痛めつける って言ったけど そんな手術だし。 で まぁ、それで元気になりました あとどれくらい命延びるの ま、そりゃずっと天寿全うする人もいるけど、ダメだったりする人もいたりしてね。じゃその日本の平均寿命とか言うけど、じゃ平均寿命延ばすのに心臓外科医って貢献してるのかな。 日本の心臓外科医が1人もいなくなったら、日本の平均寿命って短くなるのかな、ひょっとしたら延びるのかな なんて。(笑)」
太田:「そうだよねぇ~わかんないもんねぇ~」
南淵:「それと心臓さっき見ていただいたように 動いてるじゃないですか これもう、生命の・命のバトン38億年続いてるってすごい奇跡ですよね。そこに対して何か、人工弁入れたり 冠動脈繋ぐ。これ『治してる』っていう感じじゃないと思うんですね。もっとこう軽微…ちっちゃいことです まぁなんか環境整えて、この心臓に もうちょっと『止まるのをもうちょっと先にして』そういうお願いしてる 機嫌をとっている っていうね、そういう感じはしますけどね。大それたことはやってるけど、根本的に全部治してるわけじゃないんで、なんかこう良かれと思って やらしてもらえるんですけど、ちょっと機嫌直して下さいよ。みたいな。そういうレベルのことではあるのかな と思うんです。 や、でもだからって心臓の手術でね、やっぱり流れる命ってたくさんいるんですけど、まぁ、流れる命っていうのはもうそれはそれでやっぱ運命というか僕が関与したんじゃなくて、まぁなんかもともとある力なのかな っていうふうにすごく思っているんですけどね。」
1989年から海外の医療現場での体験を。
田中:「日本の医療と外国の医療の違いなんていうのはあるんですか?」
南淵:「まぁ~、いい面悪い面ありますけど、日本は保険制度があって お金がなくても治療が受けられるし、まぁ心臓手術なんてこういう人工弁使ったら400万円くらいかかるんです。これが日本だと誰でも受けれちゃうんですよ。それ日本だけですね。 海外はお金がなかったらそれで『死』を意味する。 ある東南アジアの国行きますとね、人工弁の手術 したらね、入り口の売店でね、これ(人工弁)売ってるんですよ。 売店で売ってるんですよ。薬もそうだけどね、医者がこういうの要りますと、自分で買って、手術が始まる前に はい と渡すんですよ。はい分かりましたと。」
太田:「日本は特殊だと思わなきゃダメですよね。」
南淵:「海外に行くと、お金を払って治療を受ける。『命を金で買ってるんだぞ』そこでなんかあったらどうなるんだ っていうね。もう患者さんも必死ですよね。」
田中:「患者も医者も必死。」
南淵:「患者さんが医者に平気で議論をふっかけてきたり……まぁ、こんなこと言っていいのか分かんないけど、『もっとまけろ』とか『分割にしてくれ』とかそういう……日本の患者さんなんていうのは 手術の前にこう しゅ-…ん となってしまう。」
●医者との正しいつきあい方とは。
田中:「よく病院選び、医者選びっていうね、言い方ありますけど 本なんかも出てますけど、こういう病院がいいとか、こういう医者は信頼できるとか、というのは先生が言える範囲であります?」
南淵:「やっぱ医者と話すことだし、医者と話せる病院ですよね。忙しいとか話せないとか 先生が出てるからとか。そういうのってなんか嘘なんじゃないかって思う。名医って やっぱねぇ医者って人間好きなんです。好奇心ある。話せない医者って偽者なんじゃないかって思ったりしますね。病院複数アクセスすると思うんです。そのときに医者と話してもらえるか。 医者のほうもね私ってこんな人間なんですよ ってまぁぶつかっていくのかなっていうのがありますね。」
太田:「いい医者選びみたいなこと言うけど、それも出会いじゃないですか。医者と患者ってカタチの出会いじゃないですか。そうすると例えばその ほかの患者には悪い医者かもしれないけど、自分に対してはいい医者にすることは、こっち(患者)のコミュニケーション能力も試されるよね。」
南淵:「それはありますね。完全に相性と言ってしまえばそれまでなんですけど、そうじゃないと思うんですよ。患者さんもお医者さんの人間性を見極めたり興味持ったり、医者のほうがね基本的に患者の人間性には興味ありますよねそりゃ。ま、そりゃイヤな医者もいますけどね。」
田中:「医者のイメージ っていったら太田さんなにかありますか?」
太田:「昔はさ、先生って言ったからさ、先生の言う通りしてりゃいいんだ みたいな。ウチのお袋なんかは古い人だからなんかそういう世代によってあるけど、おれは普通にこう素朴な疑問をぶつけるとちゃんと普通に答えてくれるっていう そういう 昔から考えるとずいぶんイメージが変わったなと思いますけどね。」
太田:「昔はだからお医者さんってね、ちょっと上の人だと。そうも…まぁそれが正しいんだけど、患者と医者が五分五分の立場で『おまえだって商売でやってんだろう』っていう『責任とれよ』っていう患者の側もそう言っていいわけだし。」
南淵:「病院って、今まで劇場空間だったわけですよね。要するに 医者という役割を演じ 患者という役割を演じなきゃいけない っていうところで、なんかセリフに無い言葉を言っちゃいけないっていうところがあった。っていうことですよね。」
太田:「そうそう。そうすると逆に今度、患者も逆に患者を演じるから、自分より弱くなったり。すごい一言一言重く受け取っちゃったりっていう。なんかこう、もっとフラットにっていうのが、ま、それがイメージとして成立してた部分が ちょっとだんだんその ね、なんていうのかな、成立しないからやりにくくはなっていくだろうけど。おそらく。」
南淵:「ま、情報じゃないですかね。ちゃんと情報集めてリテラシー高めていけば。 ブラック・ジャックの患者さんって全然説明いらないんですよね。医者が ああですよ、こうですよ リスク説明しないんです。始めから分かってて、すごい難病だからブラック・ジャック探してお金を積んで手術して。あんた死ぬかもしれないとか あんた病気ですよとか、」
太田:「言う必要ない。」
南淵:「ね。手術に迷ってるとか、」
太田:「高飛車だもんね ブラック・ジャック。」
南淵:「手術受けたほうがいいですよ とか言う必要ない。患者さんがそういう意味での理解力…」
太田:「アイツに頼むときはもう よっぽどのときですからね。」
南淵:「すごい高いじゃないですか。説明いらないじゃないですか。なんか合併症起こっても『そんな話聞いてない』とか、」
太田:「ならないよね。(笑)」
南淵:「やっぱ最初、いっぱい知ってる患者さんってやりにくいっていう人結構いるんだけど、僕は全然そう思わなくて、いろんなことを知ってる人のほうが、『あ なんかこの人 まず 病気のことすごく真剣に考えているな』って。考えようとしないこともそれも人間の性(さが)なんですけど。『そんなの知らなくていい 医者に任せます』って そういう人より、ちゃんと自分を正面から見ている人の方が絶対治療しやすいんですよね。」
[医療を受けるということは
命がかかった商取引をすること
遠慮なんかしている場合ではないんです。] ---南淵明宏
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
患者さん を演じる、っていうコトに関しては、どこかにも書いてあったような気がしますが…。ほぼ日だったかな。(違ってたらスマソ)
太田さんが、『自分より弱くなっちゃったり』と言われてましたけど、逆に言うと、弱さを曝け出せるという場が与えられてることは、それこそ素朴に自分の悪いところを医者に見せたい という精神的な背景もあるのではないでしょうか。
いつもカリカリと、仕事での自分。家族の前での自分。と、突っ張った印象を作ってばかりで人格を複数用意することが疲れてしまうこともあるだろうから、そこで“患者”の演者になって、過剰なくらい弱い自分を出せることで、精神的なバランスが取れているのではないでしょうか。
これは外科・内科に限らず、精神疾患の場合にでも同じことが言えると思うので。
(医者の前でもニコニコしながら重症な状態をあっけらかんと喋ってしまうような、作りあげた強がりな人格をいつまでも演じてしまいかねない状況もあると思うので。)
しかし、『話せる医者』というのはまぁ確かに有り難いけど、どうしてもイーブンな関係とは思えないよね。どこか。いくらお金払ってるから。とはいえ。なんかね。
延命治療についてや、外国での医療と日本の違いについては興味深かったです。
[海外はお金がなかったらそれで『死』を意味する。]
っていう言葉がありましたけど、結局そうなんですよ。
昨日付けで書いた、『死を選ぶ権利。』についてのエントリにも通じるコトですけど、人の命は無条件に平等じゃないし、憲法でいう最低限の保障なんていうのも限界のある話 っていう…。いや、これも冷酷な話なんだけど、それは日本が保険制度が拡充されていて、それが今の世代は…今生きてる人たち(というか今の日本人)はみな殆ど、それが当たり前だという価値観のもとにあるので、金銭的な不遇による、『死』が日常に紛れていても、それが“悲しい出来事で 保障されるべきだったのに、なんて国だ・なんて政府だ。” …と思うけど、それが仕方のないこと で済まされてしまうことも当然という価値観があるワケで。
カイジに
『金は命より重い・・・・! 』
…なんてセリフもありましたけどね。
いや、だけど、それでもね、命の平等や、金銭的不遇による死 というものに悲哀を抱くなら、
『経済活動を伴わない人間なんてクソだ。』みたいな発言するヤツもいるワケで、そことの折り合い(←?)をどう付けるのか って話なわけですよ。
働けなくて餓死するようなこともあるし、働いていたけれど重篤な病気を持ってしまうこともあるし、で、そこで命を延ばすことによる精神的・体力的・経済的負担。
ほんとうに人の命がなによりも重いものならば(この言い方もおかしな話だけどね。)、すべてのケース、ファクターを考えて、個性的なものだとか例外だとかつくらず、一つ一つを重要視すべきなのでしょうけどね。
…人の命が重いものならば…が、言い回しが自分で書いてて引っかかったのも、『生命38億年繋いで…』ってそれ人間だけじゃないし。っていう。
色んな生態系が、生まれては絶滅したりを繰り返して、今の世界に・宇宙に色んな生物が命を受けているワケでしょう。
それは遺伝子的な変質などもあるのかもしれないし、要因は様々かと思われますが。
[海外はお金がなかったらそれで『死』を意味する。]じゃないけど、すべての生物が弱肉強食で、その自然の摂理の中で広い意味での“生命”が38億年繋がってきたのだとすれば、[お金が無い]という“弱さ”すらも、絶滅…つか、絶命する要因として当然の摂理。かと。
けど、これを断言してしまとあまりに非人道的とも言えるもので。
暴力的な犯罪にも言えることで、生きてる人間が全て強くて、強い人間が生きられるのなら、弱いと仕方ないとか。その強さも 力とか心とか倫理とか都合とか利権とかの因果関係上にあると思うので、人間の裁量では判別がつかなかったり。
過去の爆問学問で、戦時下の医療に携わってた方の回で、
『たとえ運ばれてきた患者がテロの加害者でも助けます』とか、
『助けた患者が、テロを起こすこともある。けど私は運ばれてきた患者に最善を尽くす』とかあったと思うんですけど。
(爆問学問HPにありました。
太田:「この間、ビンラディンが殺されたじゃないですか。例えばビンラディンが重傷で担ぎ込まれてきたら、やっぱり治療するの?」
黒﨑:「します。」
(FILE151:「戦渦の外科医ノブコ」[リンクは爆問学問HPへ]))
とかね。
どういう人間が生きていくのに、生き残っていくのに相応しいかは計れない。
そして、強者しか生きられないのなら、弱い人・弱くなってしまった人が自ら命を絶つのも、当人の権利じゃないのかと。
医者は、立場上、全ての目の前の患者を救うことだけが一心であると思いますが。
個人レベルで、家族レベルで、自治体レベルで、国レベルで、人の命というものを、ど う い う も の と し て 向 き 合 い た い か 。これを問うべきではないでしょうか。
都合なのか、経済・国益なのか。
人の命と同じように、共同体も終わりをいつかは迎えるワケですし。
一体、何に縛られ、何を守って生きていくのか、個々がそれをしっかりと考えていくべきなのでしょうね。
余談ではありますが、HPの対談後感想に田中氏が、
“俺とはネコ好きどうし。「ネコの鼻が宇宙の始まりだ」っていう「マルチバース」説までいくとよく分からなかったけど(笑)。”
っていうのがあったんですけど、『マルチバース』ってなんぞ…? おもしろそう…。
多元宇宙? それ前回の宇宙の話に繋がるのかしら。
爆問学問 FILE174:「天才心臓外科医の告白」を見ました。
・南淵明宏(なぶちあきひろ)[心臓外科] 1983年、奈良県立医科大学卒。医学博士。
2010年12月より東京ハートセンター・センター長に就任。
以下、番組内容を大体テキスト化。↓
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
田中:「一体どれだけ執刀されてるんですか。」
南淵:「ぼくはだいたい年間300…。年間200を売りにしてるんですが、今年はサボってて180.」
田中:「2日に1回」
南淵:「あまり術者が難しい顔してたら、「大変なことになるんじゃないか」って思ったりしますよ。冗談なんか言ってると「あ~今日は問題なく手術終わるんだな」って思ったりする。そういう雰囲気 醸し出すために」
田中:「先生もこう、リラックスして」
南淵:「えぇ、冗談言うんですけど…おもしろいかどうか分からないですけど。全然無理やり笑ってくれたりしますよ。「はずしたな」なんて思いながら。」
本来、人工心臓を使うものの、心臓が動いたまま執刀をする。
南淵:「あまり重要じゃない血管を心臓に持ってきて、重要な命綱の血管にする。」
田中:「それをバイパス手術というわけですね」
南淵:「そうですね。新たにまったく作ったり、アメリカ製のを輸入って出来ないんです。要するに 人工的なものはダメなんです。細かい・細い血管。直径1mmとか2mmだから すぐ血が詰まっちゃう・固まっちゃう。やっぱり人間のもの(血管)を使わざるをえない。」
南淵:「心臓じゃないところで練習しても 現実とは違いますからね。いい意味での緊張とプレッシャー。うまくいかないとこの人死んじゃうわけだから。この日まで患者さん、不安もあって前の日とか不安で眠れないとかあるわけですから この手術に挑んでるわけですよね。やっぱり外科手術ってのは根本的にもうひどいことをするんよね。それを自覚したうえで『しっかり結果を出さなきゃいけないな』っていう。それはいつも思ってますよね。」
南淵:「さっき太田さん ミスっていったけど、思い通りにいかない(アクシデント)なんてしょっちゅうですよね。やっぱこう 患者さんによっては 内胸動脈がすごいもろかったり、つかんだだけでビリッと破れちゃったり あるいは冠動脈のほう…実際縫ってるとき割れちゃったりとか。そのときどんなワザでまたリカバリーショットを打てるか っていうのがまた大事かなと思いますね。」
南淵:「やっぱね、手術やってるときは 目の前の患者さんを助けなきゃってのはあるんだけど、ホント自分本位で申し訳ないんだけど、人殺しには絶対なりたくない。だから慈悲の心でね。「おれは助けてやるんだ!」っていうそういうことでは無いんですよ。いい意味でね分かってほしいんですよ。やっぱりこう運命共同体的な。」
田中:「すごくリアルな」
南淵:「そういうところではありますね。だからもうしっかりやらなきゃいけない。っていうのはあります。」
南淵:「やっぱね、医者って…どんな仕事もそうだけど、いい意味で臆病じゃないとダメですよ」
田中:「慎重であり大胆に」
南淵:「大胆であることは大前提…大胆に進む中すごい臆病で。」
手術に使う糸を見せてもらう。糸は直径0.05mm先端には縫いやすいように曲がった針が付いている。
4倍の拡大鏡を付けて、爆笑問題の2人が実際に縫うことを挑戦してみるも、なかなかうまくいかない。
田中:「遠近が難しい。」
南淵:「バイパス手術始まって、30年以上経ってますけど、やっぱ色々開発…開発っていうか研究されてるんです。 結局30年前と同じ方法 手で縫う。 接着剤とか色んなアイデアあるんですけど、結局 最終的にはこれが一番いい。」
人工心臓弁。
南淵:「これも30年以上デザインが変わってないんです。」
生体弁。
南淵:「牛の心膜。生体弁は薬がいらないんです。でもこれは20年くらいしかもたないんです。こっち(機械弁(人工心臓弁))はね、400年もつ。」
南淵:「患者さんにね、『30年これ使ってるんです』って言うと安心するんですよ。だって『昨日できたばかりの新製品であなたが第1号です』なんて言われると『ええ~!』って思うじゃないですか。 医療で『最先端』とかいうキャッチコピーの意味がよく分からない。」
南淵:「動いている心臓ってすごいと思うんですよ。だって1日10万回勝手に動いてるんですよ。僕が寝てる間もずっと動いてる。そういうの見てるとなんか…なんで僕らってこんなふうに生かしてもらってるんだろう。心臓って動いてくれてるんだろう ってね。 太田さんなんて心臓に感謝しなくてはいけないなんて…しないの?」
太田:「(苦笑)…普段あんま考えないですねぇ。生きてるのが当たり前だと思ってるからね。」
田中:「動いてることにいちいち気にしてたら気が気じゃないよね。逆にね。 おれ1回あってね、人間ドック受けて、軽い不整脈みたいのがあったらしいんですよ。別に再検査もする必要ないようなレベルで。ね、それが、“心室性期外収縮(心室から異常な調律が起こって 脈が不規則になること))”ってヤツ、が見られます って書いてあるんですよ。いきなりそれ見たら 重大な心臓病かと思っちゃうんですよ。 ドキドキした。 心臓って普段意識してないけどね、ひとたび意識するとね なんかこう…なんだろうこの動悸って。」
太田:「心臓ってまぁ、人間の基本だと思うんだけど、心臓が止まりゃあ死じゃないですか。まぁ脳は脳死っていうのがあるかもしれないけど。まぁでも一番のキモですよね。で、それを生かすってことをずっとやり続けるじゃないですか。哲学的なこととか考えたりするんですか? たとえば人間の生命っていうのを こうやって延命していくこと っていうのは どういう意味があるんだろう ってこととか。」
南淵:「や、それは考えますよね。」
太田:「考える。」
南淵:「やっぱり心臓の手術をするくらいの人って すごい重症だし、心臓の手術自体すごい大掛かりだし…さっき痛めつける って言ったけど そんな手術だし。 で まぁ、それで元気になりました あとどれくらい命延びるの ま、そりゃずっと天寿全うする人もいるけど、ダメだったりする人もいたりしてね。じゃその日本の平均寿命とか言うけど、じゃ平均寿命延ばすのに心臓外科医って貢献してるのかな。 日本の心臓外科医が1人もいなくなったら、日本の平均寿命って短くなるのかな、ひょっとしたら延びるのかな なんて。(笑)」
太田:「そうだよねぇ~わかんないもんねぇ~」
南淵:「それと心臓さっき見ていただいたように 動いてるじゃないですか これもう、生命の・命のバトン38億年続いてるってすごい奇跡ですよね。そこに対して何か、人工弁入れたり 冠動脈繋ぐ。これ『治してる』っていう感じじゃないと思うんですね。もっとこう軽微…ちっちゃいことです まぁなんか環境整えて、この心臓に もうちょっと『止まるのをもうちょっと先にして』そういうお願いしてる 機嫌をとっている っていうね、そういう感じはしますけどね。大それたことはやってるけど、根本的に全部治してるわけじゃないんで、なんかこう良かれと思って やらしてもらえるんですけど、ちょっと機嫌直して下さいよ。みたいな。そういうレベルのことではあるのかな と思うんです。 や、でもだからって心臓の手術でね、やっぱり流れる命ってたくさんいるんですけど、まぁ、流れる命っていうのはもうそれはそれでやっぱ運命というか僕が関与したんじゃなくて、まぁなんかもともとある力なのかな っていうふうにすごく思っているんですけどね。」
1989年から海外の医療現場での体験を。
田中:「日本の医療と外国の医療の違いなんていうのはあるんですか?」
南淵:「まぁ~、いい面悪い面ありますけど、日本は保険制度があって お金がなくても治療が受けられるし、まぁ心臓手術なんてこういう人工弁使ったら400万円くらいかかるんです。これが日本だと誰でも受けれちゃうんですよ。それ日本だけですね。 海外はお金がなかったらそれで『死』を意味する。 ある東南アジアの国行きますとね、人工弁の手術 したらね、入り口の売店でね、これ(人工弁)売ってるんですよ。 売店で売ってるんですよ。薬もそうだけどね、医者がこういうの要りますと、自分で買って、手術が始まる前に はい と渡すんですよ。はい分かりましたと。」
太田:「日本は特殊だと思わなきゃダメですよね。」
南淵:「海外に行くと、お金を払って治療を受ける。『命を金で買ってるんだぞ』そこでなんかあったらどうなるんだ っていうね。もう患者さんも必死ですよね。」
田中:「患者も医者も必死。」
南淵:「患者さんが医者に平気で議論をふっかけてきたり……まぁ、こんなこと言っていいのか分かんないけど、『もっとまけろ』とか『分割にしてくれ』とかそういう……日本の患者さんなんていうのは 手術の前にこう しゅ-…ん となってしまう。」
●医者との正しいつきあい方とは。
田中:「よく病院選び、医者選びっていうね、言い方ありますけど 本なんかも出てますけど、こういう病院がいいとか、こういう医者は信頼できるとか、というのは先生が言える範囲であります?」
南淵:「やっぱ医者と話すことだし、医者と話せる病院ですよね。忙しいとか話せないとか 先生が出てるからとか。そういうのってなんか嘘なんじゃないかって思う。名医って やっぱねぇ医者って人間好きなんです。好奇心ある。話せない医者って偽者なんじゃないかって思ったりしますね。病院複数アクセスすると思うんです。そのときに医者と話してもらえるか。 医者のほうもね私ってこんな人間なんですよ ってまぁぶつかっていくのかなっていうのがありますね。」
太田:「いい医者選びみたいなこと言うけど、それも出会いじゃないですか。医者と患者ってカタチの出会いじゃないですか。そうすると例えばその ほかの患者には悪い医者かもしれないけど、自分に対してはいい医者にすることは、こっち(患者)のコミュニケーション能力も試されるよね。」
南淵:「それはありますね。完全に相性と言ってしまえばそれまでなんですけど、そうじゃないと思うんですよ。患者さんもお医者さんの人間性を見極めたり興味持ったり、医者のほうがね基本的に患者の人間性には興味ありますよねそりゃ。ま、そりゃイヤな医者もいますけどね。」
田中:「医者のイメージ っていったら太田さんなにかありますか?」
太田:「昔はさ、先生って言ったからさ、先生の言う通りしてりゃいいんだ みたいな。ウチのお袋なんかは古い人だからなんかそういう世代によってあるけど、おれは普通にこう素朴な疑問をぶつけるとちゃんと普通に答えてくれるっていう そういう 昔から考えるとずいぶんイメージが変わったなと思いますけどね。」
太田:「昔はだからお医者さんってね、ちょっと上の人だと。そうも…まぁそれが正しいんだけど、患者と医者が五分五分の立場で『おまえだって商売でやってんだろう』っていう『責任とれよ』っていう患者の側もそう言っていいわけだし。」
南淵:「病院って、今まで劇場空間だったわけですよね。要するに 医者という役割を演じ 患者という役割を演じなきゃいけない っていうところで、なんかセリフに無い言葉を言っちゃいけないっていうところがあった。っていうことですよね。」
太田:「そうそう。そうすると逆に今度、患者も逆に患者を演じるから、自分より弱くなったり。すごい一言一言重く受け取っちゃったりっていう。なんかこう、もっとフラットにっていうのが、ま、それがイメージとして成立してた部分が ちょっとだんだんその ね、なんていうのかな、成立しないからやりにくくはなっていくだろうけど。おそらく。」
南淵:「ま、情報じゃないですかね。ちゃんと情報集めてリテラシー高めていけば。 ブラック・ジャックの患者さんって全然説明いらないんですよね。医者が ああですよ、こうですよ リスク説明しないんです。始めから分かってて、すごい難病だからブラック・ジャック探してお金を積んで手術して。あんた死ぬかもしれないとか あんた病気ですよとか、」
太田:「言う必要ない。」
南淵:「ね。手術に迷ってるとか、」
太田:「高飛車だもんね ブラック・ジャック。」
南淵:「手術受けたほうがいいですよ とか言う必要ない。患者さんがそういう意味での理解力…」
太田:「アイツに頼むときはもう よっぽどのときですからね。」
南淵:「すごい高いじゃないですか。説明いらないじゃないですか。なんか合併症起こっても『そんな話聞いてない』とか、」
太田:「ならないよね。(笑)」
南淵:「やっぱ最初、いっぱい知ってる患者さんってやりにくいっていう人結構いるんだけど、僕は全然そう思わなくて、いろんなことを知ってる人のほうが、『あ なんかこの人 まず 病気のことすごく真剣に考えているな』って。考えようとしないこともそれも人間の性(さが)なんですけど。『そんなの知らなくていい 医者に任せます』って そういう人より、ちゃんと自分を正面から見ている人の方が絶対治療しやすいんですよね。」
[医療を受けるということは
命がかかった商取引をすること
遠慮なんかしている場合ではないんです。] ---南淵明宏
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
患者さん を演じる、っていうコトに関しては、どこかにも書いてあったような気がしますが…。ほぼ日だったかな。(違ってたらスマソ)
太田さんが、『自分より弱くなっちゃったり』と言われてましたけど、逆に言うと、弱さを曝け出せるという場が与えられてることは、それこそ素朴に自分の悪いところを医者に見せたい という精神的な背景もあるのではないでしょうか。
いつもカリカリと、仕事での自分。家族の前での自分。と、突っ張った印象を作ってばかりで人格を複数用意することが疲れてしまうこともあるだろうから、そこで“患者”の演者になって、過剰なくらい弱い自分を出せることで、精神的なバランスが取れているのではないでしょうか。
これは外科・内科に限らず、精神疾患の場合にでも同じことが言えると思うので。
(医者の前でもニコニコしながら重症な状態をあっけらかんと喋ってしまうような、作りあげた強がりな人格をいつまでも演じてしまいかねない状況もあると思うので。)
しかし、『話せる医者』というのはまぁ確かに有り難いけど、どうしてもイーブンな関係とは思えないよね。どこか。いくらお金払ってるから。とはいえ。なんかね。
延命治療についてや、外国での医療と日本の違いについては興味深かったです。
[海外はお金がなかったらそれで『死』を意味する。]
っていう言葉がありましたけど、結局そうなんですよ。
昨日付けで書いた、『死を選ぶ権利。』についてのエントリにも通じるコトですけど、人の命は無条件に平等じゃないし、憲法でいう最低限の保障なんていうのも限界のある話 っていう…。いや、これも冷酷な話なんだけど、それは日本が保険制度が拡充されていて、それが今の世代は…今生きてる人たち(というか今の日本人)はみな殆ど、それが当たり前だという価値観のもとにあるので、金銭的な不遇による、『死』が日常に紛れていても、それが“悲しい出来事で 保障されるべきだったのに、なんて国だ・なんて政府だ。” …と思うけど、それが仕方のないこと で済まされてしまうことも当然という価値観があるワケで。
カイジに
『金は命より重い・・・・! 』
…なんてセリフもありましたけどね。
いや、だけど、それでもね、命の平等や、金銭的不遇による死 というものに悲哀を抱くなら、
『経済活動を伴わない人間なんてクソだ。』みたいな発言するヤツもいるワケで、そことの折り合い(←?)をどう付けるのか って話なわけですよ。
働けなくて餓死するようなこともあるし、働いていたけれど重篤な病気を持ってしまうこともあるし、で、そこで命を延ばすことによる精神的・体力的・経済的負担。
ほんとうに人の命がなによりも重いものならば(この言い方もおかしな話だけどね。)、すべてのケース、ファクターを考えて、個性的なものだとか例外だとかつくらず、一つ一つを重要視すべきなのでしょうけどね。
…人の命が重いものならば…が、言い回しが自分で書いてて引っかかったのも、『生命38億年繋いで…』ってそれ人間だけじゃないし。っていう。
色んな生態系が、生まれては絶滅したりを繰り返して、今の世界に・宇宙に色んな生物が命を受けているワケでしょう。
それは遺伝子的な変質などもあるのかもしれないし、要因は様々かと思われますが。
[海外はお金がなかったらそれで『死』を意味する。]じゃないけど、すべての生物が弱肉強食で、その自然の摂理の中で広い意味での“生命”が38億年繋がってきたのだとすれば、[お金が無い]という“弱さ”すらも、絶滅…つか、絶命する要因として当然の摂理。かと。
けど、これを断言してしまとあまりに非人道的とも言えるもので。
暴力的な犯罪にも言えることで、生きてる人間が全て強くて、強い人間が生きられるのなら、弱いと仕方ないとか。その強さも 力とか心とか倫理とか都合とか利権とかの因果関係上にあると思うので、人間の裁量では判別がつかなかったり。
過去の爆問学問で、戦時下の医療に携わってた方の回で、
『たとえ運ばれてきた患者がテロの加害者でも助けます』とか、
『助けた患者が、テロを起こすこともある。けど私は運ばれてきた患者に最善を尽くす』とかあったと思うんですけど。
(爆問学問HPにありました。
太田:「この間、ビンラディンが殺されたじゃないですか。例えばビンラディンが重傷で担ぎ込まれてきたら、やっぱり治療するの?」
黒﨑:「します。」
(FILE151:「戦渦の外科医ノブコ」[リンクは爆問学問HPへ]))
とかね。
どういう人間が生きていくのに、生き残っていくのに相応しいかは計れない。
そして、強者しか生きられないのなら、弱い人・弱くなってしまった人が自ら命を絶つのも、当人の権利じゃないのかと。
医者は、立場上、全ての目の前の患者を救うことだけが一心であると思いますが。
個人レベルで、家族レベルで、自治体レベルで、国レベルで、人の命というものを、ど う い う も の と し て 向 き 合 い た い か 。これを問うべきではないでしょうか。
都合なのか、経済・国益なのか。
人の命と同じように、共同体も終わりをいつかは迎えるワケですし。
一体、何に縛られ、何を守って生きていくのか、個々がそれをしっかりと考えていくべきなのでしょうね。
余談ではありますが、HPの対談後感想に田中氏が、
“俺とはネコ好きどうし。「ネコの鼻が宇宙の始まりだ」っていう「マルチバース」説までいくとよく分からなかったけど(笑)。”
っていうのがあったんですけど、『マルチバース』ってなんぞ…? おもしろそう…。
多元宇宙? それ前回の宇宙の話に繋がるのかしら。
2012.02.09.O.A.(再放送 2012.02.13.夜中)
FILE173:「宇宙の果てまで連れてって」を見ました。
村山斉(むらやまひとし)・[素粒子物理学]
東京大学国際高等研究所 数物連携宇宙研究機構(IPMU)機構長・特任教授。
先ず、以下に番組内容のメモ。↓
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
村山:「地球から132億光年先の銀河。今のギネスレコード。これが今 一番遠くで見れた銀河。遠いから暗いし。」
田中:「どうしてそれが132億光年って分かった?」
村山:「ここから光が来る前にすごく赤くなる。どのくらい遠いか大体わかるんですよ。で132億光年までは銀河見えるんですけど、もっと先を見ると 実はビッグバンも見える。」
田中:「えぇ~っ!?」
村山:「遠くを見る ということは、光が来るのに時間がかかるわけだから 昔が見える。137億年前に まだ熱かった宇宙の姿というのが望遠鏡でまだ見える。」
村山:「ここまで見えるので、宇宙の昔の姿っていうのは 今よりずっとちっちゃくて、熱い、それでビッグバンっていうわけなんですけど そういうものから始まったっていうのはもう 間違いない。」
村山:「(観測されたデータを元に作成された地球を眺める様子をどんどん離れて見ていくシミュレーション映像を見ながら)分かったのは銀河はどこにでもある、けどちょっとムラムラがあるってことがはっきりしてきてて。」
村山:「(ブラックホール)我々の銀河系のど真ん中にある。ブラックホールに吸い込まれると出てこれないって言うじゃないですか。でも吸い込まれる前に 断末魔の光を出す。」
村山:「ブラックホールっていうのは 周りの空間を歪めているんだ っていう アインシュタインが言うには。 そもそも重力っていうのは 空間のゆがみのことなんだ。2つものを持ってきて、それぞれ空間歪みますよね。」


村山:「で、これ手離すと寄ってくるじゃないですか。これ引力なんですよ。だから1個1個のものがピピピッと信号を発して、『こっちこい』と、言ってるんじゃなくて、やってるのは周りの空間を歪めることなんだ。そうするとそれが引力になるんですね。 だから太陽の周りもブラックホールの周りも実はこう空間が歪んでる。で歪んでる空間の周りを地球がこう、くるくると回り始める。」

Q.『宇宙にはどのくらいの数の星があるの?』
A.1000億(の星)×1000億(の銀河) 100垓。
Q.ブラックホールに出口はあるの?
村山:「ブラックホール、じゃあ死の天体かっていうと、ブラックホールからちょろちょろ熱が出ているんですね、熱っていうのはエネルギーを出してるわけだからずーっと放っておくと先細って無くなっちゃうじゃないですか。蒸発する。じゃあ、中に入ったものは蒸発するとき出てくるのか………これ実はホントのことはよくわかってないですけど、何らかの意味で入ったものも出てくるんだろう…っていうのが今の定説です。 …ブラックホール自身がいずれなくなっちゃう…でもそれには、ものすご~~~~…く、長い時間がかかるので、たぶん見てる間には起きないと思うけど、でも、
“A.(出口は無いけど)原理的には出てこれる。”っていうのが今の定説ですね。」
●宇宙の終わり。
村山:「今まで考えられてたのは、宇宙は大きくなっていくわけですけど、だんだん ゆっくりになっていくと思っていたんです。宇宙の膨張ってすごい話みたいだけど ボールを投げたのと同じなんです。このボールをこう上に投げる。最初に『えいやッ』って投げるのがビッグバン。ボールがだんだん上に上がっていくっていうのが、宇宙が大きくなることなんですね。で、これを(手持ちのボールを上へ投げる)投げると 落っこちてくるじゃないですか。っていうことはだんだん遅くなっていって、どこかで止まる。で、落っこってくるっていうことは宇宙はだんだん小さくなるので つぶれちゃうんじゃないか。これが一つ。」
「もし ボールをロケットで打ち上げたら、地球の重力を振り切ってずっと遠くまで行っちゃうかもしれないだんだん遅くはなるけど、振り切って行っちゃう。」

村山:「その2つが宇宙の終わりだろうって、70年間言われてたんです。 …これも覆っちゃった。98年に覆っちゃった。 何を使って調べたかっていうと、超新星なんですけど、この銀河の中で超新星が爆発すると 明るくなってますよね。」
ナレーション:「(覆した3人の研究者)3人が宇宙の膨張速度を計る目印にしたのが 超新星爆発。近くにある 比較的新しい爆発と、遠くにある古い爆発の明るさや色を観察し、地球から遠ざかっていく速度を比べたのだ。そして出た結果は…」
村山:「実は宇宙の膨張はだんだん早くなっている。加速している。これは本当に気味悪い。みんなビックリした。」
太田:「気味悪い…(笑) 普通の物理法則じゃないもんね。」
村山:「言ってみれば、ボールを上に投げますよね、そうするとどんどん」
田中:「江川のストレートだ。手元で伸びる感じ。」
村山:「そう。(笑) 最初減速したのにだんだん途中から加速し始めるんですよ。最近加速が始まった。」
太田:「最近て?(笑)」
村山:「70億年ぐらい前。」
田中:「70億年…。(笑) 大昔じゃん。」
太田:「光でなぜ宇宙が満たされないかみたいな話あるじゃないですか。それは宇宙が膨張してるから どんどん遠くへ行くんだ …っていう理屈でおれは把握してたけど。だけど光の速度が一番速いわけでしょ?そうすると 宇宙がゆっくりになりゃ(ゆっくり広がれば)いずれ光で宇宙は満たされちゃう。」
村山:「そうですね。とくにつぶれ始めたりしたら 夜空も明るくなっちゃう。」
太田:「だとしたら加速したほうがすんなり。その理屈だけを考えれば ですよ。」
村山:「でも加速するともっとドラマティックなことが起こるかもしれないんで、あの どんどん どんどん加速してますからあるとき宇宙の膨張の速さがどんどん速くなって 宇宙が無限に引き裂かれて終わっちゃうっていう可能性もあるんです。要するに“ビッグリップ”。…銀河もはがされて星がバラバラになっていくんですよ。…起きるとしても これから1000億年よりも先の話だから。」
太田:「そのとき地球にわれわれ居たらどういうことが起こるんです?」
村山:「地球もどんどん太陽からはがされていく。はがされてどんどん寒くなりますよね。太陽も引きちぎられる。」
-----惑星もバラバラに砕け散っていく。
村山:「どんどんバラバラになっていくので、ちっちゃいちっちゃい つぶつぶになっていく。1個1個のものがバラバラになって、素粒子になって 宇宙は空っぽ。」
太田:「どこに行っちゃうの?」
村山:「無限に薄くなっていっちゃって、あるんでしょうけど ずっと向こう。」
村山:「今までの膨張の歴史をもっと正確に調べようと それでこうさっきの…すばる望遠鏡っていうハワイにある望遠鏡に 大きいデジカメを付けようと。デジカメといっても 画素数が9億で、重さが3.5トン。 それを使うと、今までの歴史がもっとちゃんと調べられるんですよ。」
●宇宙は何でできている?
ナレーション:「ところで そもそも宇宙は何で出来ているのであろうか? 実はわれわれが通常、物質と呼んでいる、原子で出来たものは、宇宙を構成する物質の2割にも満たない。残り8割以上は 目に見えず、触れることもできない 未知の暗黒物質なのだ。これがそれを証明する写真だ。」

ナレーション:「銀河の光が奇妙にゆがんでいるのがわかるだろうか。これは銀河の光が地上に届く前に暗黒物質の強い重力によって歪められたせいなのだ。」
田中:「暗黒物質ってイメージ的に 悪い みたいななんかね 悪玉みたいな。見えないところに何かがあることが分かった。っていうことですね。」
村山:「暗黒物質があるっていうのが現実的な宇宙で、無いのが非現実的な宇宙です。暗黒物質があれば重力でモノを引きつける。暗黒物質が集まってくると、そこに普通のガスを引きずり込んでガシャガシャやってるうちに星が出来て銀河が出来る。 でも暗黒物質が無い宇宙だと、137億年待っても全然コントラストが生まれなくて星もなくて銀河もなくて 我々も存在しない。」
Q.地球や他の惑星は丸いのに、小惑星イトカワは何故ピーナッツ型なの?
村山:「重力で決まっている。地球くらいの大きさになると、重力ではじとはじが引っ張ってますから 離れてるところがくっつこうとする。自分の中でだんだん丁度いいとこに落ち着こうとするうちに徐々に徐々に丸くなる。ちっちゃいものはイビツな格好のままでいられる。」
Q.ベテルギウスの超新星爆発を自分たちで観測できる?
村山:「近くですよ。数百光年くらい。(640光年) 昼間でも見える。超新星爆発が起きるとものすごい明るくなって。肉眼でも分かる。」
村山:「(そろそろ爆発するんじゃないか…ということは分かるのか)分かる方法もある。星が爆発する前にニュートリノが出始める。(※ニュートリノ…物質の最小単位“素粒子”のひとつ)で、そのニュートリノを始めにつかまえておけるくらい大きな装置があれば、『そろそろですよ』と世界中に予告することが出来るかもしれないです。」
ナレーション:「フランスからイタリアまで、素粒子・ニュートリノを飛ばし、光の速さと比べる実験を行ったところ、なんとニュートリノが光に勝ってしまったのだ。この結果が本当ならば アインシュタインが唱えた『宇宙には光速を超えるものは存在しない』という物理学の土台とも言える定説が覆り、タイムマシンも実現可能となってしまうかもしれない。」
村山:「あれ本当なら天地がひっくり返る騒ぎですよ。」
太田:「それはアインシュタインの理論を完全否定するものなの?」
村山:「タイムマシンが出来ちゃうか、アインシュタインが間違いか。どうしてもそうなっちゃう。」
太田:「そうやら それっぽい感じになってるみたいですよ今。」
村山:「でも、すっごく難しい実験なんですよね。750km離れたところにニュートリノ打つと。で着いた時間を正確に計るんですけど、それがどんだけ速かったか っていうと、65ナノ秒。だから1秒の…“10億ぶんの65”秒だけ ちょっと速かった っていう。そういう微妙~な実験なので。」
太田:「ありえます?」
村山:「う~ん、アインシュタインの理論はことごとく正しかったわけですよ。何べんも何べんもテストを重ねてきても。だからちょっと有り得ないかな って普通の人は思ってるので。だからどっちかって言うと、この新しい実験のほうに何か見落としがあるんじゃないかと。でもちゃんと調べて。ホントかどうか調べないと。科学だから『こういうようなハズだ』っていうのはマズいので、もしかしたらホントかもしれないからちゃんとやってみよう…という、やるべきじゃないですか。」
村山:「謙虚になりますよね。 天動説のころ、自分たちが真ん中にいて、全部しもべみたいに周りを回ってると思っていた のが地動説になって、太陽の、周りを回っている。そしたら太陽も中心じゃない。銀河の中をぐるぐる回っている。たくさんある星の1個に過ぎないんだ。 でも、その人間が 宇宙137億年の歴史をここまで分かってきた。それってすごいと思いません?」
太田:「奇跡」
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
はじめ、数式ばかりが書かれてたときには、どんな難題なのだろうかと思ってましたけど、村山先生の話自体はとても分かりやすかった感じ。
そもそも、なんで宇宙は在るのか。
宇宙はどういったもので形成されてるのか? ってコトに触れたあたりは面白かったです。
ニュートリノと光の話であった、タイムマシンの話とかにしても、過去に戻るとか未来へ行くとかじゃなくても、未来を想定したり、過去を見ることは可能なんですものね。
ビッグバンが見れるとか、または宇宙の終わりが推測できるとか あったので。
なので、一人の人間が どのような道程を経て成長をなしていったのかとか、社会や環境が何を経て変貌を遂げていったのか、というのが分かるのかしら。
…と、宇宙規模の話の中で小さいこと思ったりして。
や、存在するものが、生まれては消えて(粉々になって、見えないくらいのものになって?)、いくワケですから。
今、可視可能で存在認識しているものも、不可視なものによって成り立っているとか、暗黒物質じゃないですけどね。
重力からの引力。重力によって回転しながら引き寄せられていくことも面白かったな。
…というか、ジョジョ第6部を思い出しましたよ。
最後のプッチ神父の『時の加速』と『重力』と『運命』。
プッチ神父の能力、『メイド・イン・ヘブン』の能力解説にもあるんですが、『重力』と『時間』の関係で、『重力』が重くなるほど、『時間』は遅くなる。
(ところでブラックホールを表すときの、重力や空間の歪みで、ボールが円を描いて中心へいった、というのも、その『回転』がなんか第7部S.B.R.のような感じで、宇宙の行き着く先みたいな…。蛇足だけど。あやふやだけど。)
で、
宇宙空間に拡張し続けるというなら、今回の放送であったように、宇宙が膨張し続けるならどんどん重力とは無縁になっていって、『加速する』ことも納得がいくんですけどね。
でも、これって、パラレルワールドとは違うものね、時間も重力も一方通行で、タイムマシンの是非についてもあったけど、時間や空間は循環してるワケじゃないから。
観測することは出来ても、そちら(未来や過去)に実際に行くことは出来ない(おそらく)。
(けどこれも、爆問学問の過去放送で何かの乗り物(リニア?)で、速度が速まっていったら未来に行けるんじゃね?的な何かがあったような。(うろ覚え)つか、単純に、今後も技術だけは間違いなく進歩するハズなので、どんどん『速い乗り物』は開発されていくだろうので、『時間』の体感の差異も生じてくる可能性もあるんじゃないかと。でもこの体感も主観が伴うものならば、共感しにくいのかしら。)
そうなると、“終わり”はどう迎えるのか、って話で、『始まり』がある以上『終わり』がある。…だなんて安易な文言で表すことは可能だけど、3次元における物質自体に破壊と創造があったり、生命的には…仏教的見地としての(?)輪廻があって、死んでもまた生まれ変わる みたいな、“終わり”が、循環込みでの終わりしか無いのなら、宇宙も終わりを繰り返す?
引き裂かれて粉々になって空っぽになっても、そこからまた新たな物質が生成されて繰り返し誕生していくのかな。
完全に“終わり”というのは観測者の主観、神の視座(?)の認識次第によるものとか?
………なんかぐだぐだ書いてしまいましたが、キリが無いし、素人が文献も読まずに番組感想だけで書いても仕方ないのでここまで。(笑)
FILE173:「宇宙の果てまで連れてって」を見ました。
村山斉(むらやまひとし)・[素粒子物理学]
東京大学国際高等研究所 数物連携宇宙研究機構(IPMU)機構長・特任教授。
先ず、以下に番組内容のメモ。↓
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
村山:「地球から132億光年先の銀河。今のギネスレコード。これが今 一番遠くで見れた銀河。遠いから暗いし。」
田中:「どうしてそれが132億光年って分かった?」
村山:「ここから光が来る前にすごく赤くなる。どのくらい遠いか大体わかるんですよ。で132億光年までは銀河見えるんですけど、もっと先を見ると 実はビッグバンも見える。」
田中:「えぇ~っ!?」
村山:「遠くを見る ということは、光が来るのに時間がかかるわけだから 昔が見える。137億年前に まだ熱かった宇宙の姿というのが望遠鏡でまだ見える。」
村山:「ここまで見えるので、宇宙の昔の姿っていうのは 今よりずっとちっちゃくて、熱い、それでビッグバンっていうわけなんですけど そういうものから始まったっていうのはもう 間違いない。」
村山:「(観測されたデータを元に作成された地球を眺める様子をどんどん離れて見ていくシミュレーション映像を見ながら)分かったのは銀河はどこにでもある、けどちょっとムラムラがあるってことがはっきりしてきてて。」
村山:「(ブラックホール)我々の銀河系のど真ん中にある。ブラックホールに吸い込まれると出てこれないって言うじゃないですか。でも吸い込まれる前に 断末魔の光を出す。」
村山:「ブラックホールっていうのは 周りの空間を歪めているんだ っていう アインシュタインが言うには。 そもそも重力っていうのは 空間のゆがみのことなんだ。2つものを持ってきて、それぞれ空間歪みますよね。」


村山:「で、これ手離すと寄ってくるじゃないですか。これ引力なんですよ。だから1個1個のものがピピピッと信号を発して、『こっちこい』と、言ってるんじゃなくて、やってるのは周りの空間を歪めることなんだ。そうするとそれが引力になるんですね。 だから太陽の周りもブラックホールの周りも実はこう空間が歪んでる。で歪んでる空間の周りを地球がこう、くるくると回り始める。」

Q.『宇宙にはどのくらいの数の星があるの?』
A.1000億(の星)×1000億(の銀河) 100垓。
Q.ブラックホールに出口はあるの?
村山:「ブラックホール、じゃあ死の天体かっていうと、ブラックホールからちょろちょろ熱が出ているんですね、熱っていうのはエネルギーを出してるわけだからずーっと放っておくと先細って無くなっちゃうじゃないですか。蒸発する。じゃあ、中に入ったものは蒸発するとき出てくるのか………これ実はホントのことはよくわかってないですけど、何らかの意味で入ったものも出てくるんだろう…っていうのが今の定説です。 …ブラックホール自身がいずれなくなっちゃう…でもそれには、ものすご~~~~…く、長い時間がかかるので、たぶん見てる間には起きないと思うけど、でも、
“A.(出口は無いけど)原理的には出てこれる。”っていうのが今の定説ですね。」
●宇宙の終わり。
村山:「今まで考えられてたのは、宇宙は大きくなっていくわけですけど、だんだん ゆっくりになっていくと思っていたんです。宇宙の膨張ってすごい話みたいだけど ボールを投げたのと同じなんです。このボールをこう上に投げる。最初に『えいやッ』って投げるのがビッグバン。ボールがだんだん上に上がっていくっていうのが、宇宙が大きくなることなんですね。で、これを(手持ちのボールを上へ投げる)投げると 落っこちてくるじゃないですか。っていうことはだんだん遅くなっていって、どこかで止まる。で、落っこってくるっていうことは宇宙はだんだん小さくなるので つぶれちゃうんじゃないか。これが一つ。」
「もし ボールをロケットで打ち上げたら、地球の重力を振り切ってずっと遠くまで行っちゃうかもしれないだんだん遅くはなるけど、振り切って行っちゃう。」

村山:「その2つが宇宙の終わりだろうって、70年間言われてたんです。 …これも覆っちゃった。98年に覆っちゃった。 何を使って調べたかっていうと、超新星なんですけど、この銀河の中で超新星が爆発すると 明るくなってますよね。」
ナレーション:「(覆した3人の研究者)3人が宇宙の膨張速度を計る目印にしたのが 超新星爆発。近くにある 比較的新しい爆発と、遠くにある古い爆発の明るさや色を観察し、地球から遠ざかっていく速度を比べたのだ。そして出た結果は…」
村山:「実は宇宙の膨張はだんだん早くなっている。加速している。これは本当に気味悪い。みんなビックリした。」
太田:「気味悪い…(笑) 普通の物理法則じゃないもんね。」
村山:「言ってみれば、ボールを上に投げますよね、そうするとどんどん」
田中:「江川のストレートだ。手元で伸びる感じ。」
村山:「そう。(笑) 最初減速したのにだんだん途中から加速し始めるんですよ。最近加速が始まった。」
太田:「最近て?(笑)」
村山:「70億年ぐらい前。」
田中:「70億年…。(笑) 大昔じゃん。」
太田:「光でなぜ宇宙が満たされないかみたいな話あるじゃないですか。それは宇宙が膨張してるから どんどん遠くへ行くんだ …っていう理屈でおれは把握してたけど。だけど光の速度が一番速いわけでしょ?そうすると 宇宙がゆっくりになりゃ(ゆっくり広がれば)いずれ光で宇宙は満たされちゃう。」
村山:「そうですね。とくにつぶれ始めたりしたら 夜空も明るくなっちゃう。」
太田:「だとしたら加速したほうがすんなり。その理屈だけを考えれば ですよ。」
村山:「でも加速するともっとドラマティックなことが起こるかもしれないんで、あの どんどん どんどん加速してますからあるとき宇宙の膨張の速さがどんどん速くなって 宇宙が無限に引き裂かれて終わっちゃうっていう可能性もあるんです。要するに“ビッグリップ”。…銀河もはがされて星がバラバラになっていくんですよ。…起きるとしても これから1000億年よりも先の話だから。」
太田:「そのとき地球にわれわれ居たらどういうことが起こるんです?」
村山:「地球もどんどん太陽からはがされていく。はがされてどんどん寒くなりますよね。太陽も引きちぎられる。」
-----惑星もバラバラに砕け散っていく。
村山:「どんどんバラバラになっていくので、ちっちゃいちっちゃい つぶつぶになっていく。1個1個のものがバラバラになって、素粒子になって 宇宙は空っぽ。」
太田:「どこに行っちゃうの?」
村山:「無限に薄くなっていっちゃって、あるんでしょうけど ずっと向こう。」
村山:「今までの膨張の歴史をもっと正確に調べようと それでこうさっきの…すばる望遠鏡っていうハワイにある望遠鏡に 大きいデジカメを付けようと。デジカメといっても 画素数が9億で、重さが3.5トン。 それを使うと、今までの歴史がもっとちゃんと調べられるんですよ。」
●宇宙は何でできている?
ナレーション:「ところで そもそも宇宙は何で出来ているのであろうか? 実はわれわれが通常、物質と呼んでいる、原子で出来たものは、宇宙を構成する物質の2割にも満たない。残り8割以上は 目に見えず、触れることもできない 未知の暗黒物質なのだ。これがそれを証明する写真だ。」

ナレーション:「銀河の光が奇妙にゆがんでいるのがわかるだろうか。これは銀河の光が地上に届く前に暗黒物質の強い重力によって歪められたせいなのだ。」
田中:「暗黒物質ってイメージ的に 悪い みたいななんかね 悪玉みたいな。見えないところに何かがあることが分かった。っていうことですね。」
村山:「暗黒物質があるっていうのが現実的な宇宙で、無いのが非現実的な宇宙です。暗黒物質があれば重力でモノを引きつける。暗黒物質が集まってくると、そこに普通のガスを引きずり込んでガシャガシャやってるうちに星が出来て銀河が出来る。 でも暗黒物質が無い宇宙だと、137億年待っても全然コントラストが生まれなくて星もなくて銀河もなくて 我々も存在しない。」
Q.地球や他の惑星は丸いのに、小惑星イトカワは何故ピーナッツ型なの?
村山:「重力で決まっている。地球くらいの大きさになると、重力ではじとはじが引っ張ってますから 離れてるところがくっつこうとする。自分の中でだんだん丁度いいとこに落ち着こうとするうちに徐々に徐々に丸くなる。ちっちゃいものはイビツな格好のままでいられる。」
Q.ベテルギウスの超新星爆発を自分たちで観測できる?
村山:「近くですよ。数百光年くらい。(640光年) 昼間でも見える。超新星爆発が起きるとものすごい明るくなって。肉眼でも分かる。」
村山:「(そろそろ爆発するんじゃないか…ということは分かるのか)分かる方法もある。星が爆発する前にニュートリノが出始める。(※ニュートリノ…物質の最小単位“素粒子”のひとつ)で、そのニュートリノを始めにつかまえておけるくらい大きな装置があれば、『そろそろですよ』と世界中に予告することが出来るかもしれないです。」
ナレーション:「フランスからイタリアまで、素粒子・ニュートリノを飛ばし、光の速さと比べる実験を行ったところ、なんとニュートリノが光に勝ってしまったのだ。この結果が本当ならば アインシュタインが唱えた『宇宙には光速を超えるものは存在しない』という物理学の土台とも言える定説が覆り、タイムマシンも実現可能となってしまうかもしれない。」
村山:「あれ本当なら天地がひっくり返る騒ぎですよ。」
太田:「それはアインシュタインの理論を完全否定するものなの?」
村山:「タイムマシンが出来ちゃうか、アインシュタインが間違いか。どうしてもそうなっちゃう。」
太田:「そうやら それっぽい感じになってるみたいですよ今。」
村山:「でも、すっごく難しい実験なんですよね。750km離れたところにニュートリノ打つと。で着いた時間を正確に計るんですけど、それがどんだけ速かったか っていうと、65ナノ秒。だから1秒の…“10億ぶんの65”秒だけ ちょっと速かった っていう。そういう微妙~な実験なので。」
太田:「ありえます?」
村山:「う~ん、アインシュタインの理論はことごとく正しかったわけですよ。何べんも何べんもテストを重ねてきても。だからちょっと有り得ないかな って普通の人は思ってるので。だからどっちかって言うと、この新しい実験のほうに何か見落としがあるんじゃないかと。でもちゃんと調べて。ホントかどうか調べないと。科学だから『こういうようなハズだ』っていうのはマズいので、もしかしたらホントかもしれないからちゃんとやってみよう…という、やるべきじゃないですか。」
村山:「謙虚になりますよね。 天動説のころ、自分たちが真ん中にいて、全部しもべみたいに周りを回ってると思っていた のが地動説になって、太陽の、周りを回っている。そしたら太陽も中心じゃない。銀河の中をぐるぐる回っている。たくさんある星の1個に過ぎないんだ。 でも、その人間が 宇宙137億年の歴史をここまで分かってきた。それってすごいと思いません?」
太田:「奇跡」
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
はじめ、数式ばかりが書かれてたときには、どんな難題なのだろうかと思ってましたけど、村山先生の話自体はとても分かりやすかった感じ。
そもそも、なんで宇宙は在るのか。
宇宙はどういったもので形成されてるのか? ってコトに触れたあたりは面白かったです。
ニュートリノと光の話であった、タイムマシンの話とかにしても、過去に戻るとか未来へ行くとかじゃなくても、未来を想定したり、過去を見ることは可能なんですものね。
ビッグバンが見れるとか、または宇宙の終わりが推測できるとか あったので。
なので、一人の人間が どのような道程を経て成長をなしていったのかとか、社会や環境が何を経て変貌を遂げていったのか、というのが分かるのかしら。
…と、宇宙規模の話の中で小さいこと思ったりして。
や、存在するものが、生まれては消えて(粉々になって、見えないくらいのものになって?)、いくワケですから。
今、可視可能で存在認識しているものも、不可視なものによって成り立っているとか、暗黒物質じゃないですけどね。
重力からの引力。重力によって回転しながら引き寄せられていくことも面白かったな。
…というか、ジョジョ第6部を思い出しましたよ。
最後のプッチ神父の『時の加速』と『重力』と『運命』。
プッチ神父の能力、『メイド・イン・ヘブン』の能力解説にもあるんですが、『重力』と『時間』の関係で、『重力』が重くなるほど、『時間』は遅くなる。
(ところでブラックホールを表すときの、重力や空間の歪みで、ボールが円を描いて中心へいった、というのも、その『回転』がなんか第7部S.B.R.のような感じで、宇宙の行き着く先みたいな…。蛇足だけど。あやふやだけど。)
で、
宇宙空間に拡張し続けるというなら、今回の放送であったように、宇宙が膨張し続けるならどんどん重力とは無縁になっていって、『加速する』ことも納得がいくんですけどね。
でも、これって、パラレルワールドとは違うものね、時間も重力も一方通行で、タイムマシンの是非についてもあったけど、時間や空間は循環してるワケじゃないから。
観測することは出来ても、そちら(未来や過去)に実際に行くことは出来ない(おそらく)。
(けどこれも、爆問学問の過去放送で何かの乗り物(リニア?)で、速度が速まっていったら未来に行けるんじゃね?的な何かがあったような。(うろ覚え)つか、単純に、今後も技術だけは間違いなく進歩するハズなので、どんどん『速い乗り物』は開発されていくだろうので、『時間』の体感の差異も生じてくる可能性もあるんじゃないかと。でもこの体感も主観が伴うものならば、共感しにくいのかしら。)
そうなると、“終わり”はどう迎えるのか、って話で、『始まり』がある以上『終わり』がある。…だなんて安易な文言で表すことは可能だけど、3次元における物質自体に破壊と創造があったり、生命的には…仏教的見地としての(?)輪廻があって、死んでもまた生まれ変わる みたいな、“終わり”が、循環込みでの終わりしか無いのなら、宇宙も終わりを繰り返す?
引き裂かれて粉々になって空っぽになっても、そこからまた新たな物質が生成されて繰り返し誕生していくのかな。
完全に“終わり”というのは観測者の主観、神の視座(?)の認識次第によるものとか?
………なんかぐだぐだ書いてしまいましたが、キリが無いし、素人が文献も読まずに番組感想だけで書いても仕方ないのでここまで。(笑)
2012.02.02.O.A.(再放送 2012.02.06.夜中。)
爆問学問・FILE172:「奇食屋台」を見ました。
ゲスト:石毛直道(いしげなおみち)・国立民族学博物館名誉教授。
徳井健太(とくいけんた)[平成ノブシコブシ]
(海外ロケの番組で様々なゲテモノを食したとされる。)
以下、番組内容メモ。↓
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
徳井、(これまででうまかったもの)カブトムシの幼虫。
石毛、これまでに 羊の内臓。オオトカゲ。など。
『危』
“サソリの素揚げ”。
石毛:「サソリは毒の弱いものが多い。」
徳井:「注意点としては口の中にいつまでもハサミが残る。」
石毛:「グロテスクにみえるものを食べることで、男らしさを強調する。」
“フグの卵巣のぬか漬け”。
石毛:「フグで一番毒が強いのは卵巣と肝」
:「フグの毒は青酸カリの一千倍。」
ぬか・こうじなどを加えて2年寝かせると毒が抜ける。
石毛:「縄文時代の貝塚から、フグの中でも一番毒が強いトラフグの骨がたくさん出るんです。縄文時代の人も食っていたに違いない。」
『臭』
石毛:「沖縄の「豆腐餻(とうふよう・“よう”の字は「食」へんに「羔」)」に似ている」
臭豆腐→(植物の汁や石灰を混ぜて発酵させた汁にひと晩ほど寝かせる。)
“臭豆腐の素揚げ”。
石毛:「発酵した食べ物は臭いがあるんですよ。」
石毛:「科学的に言ったら『発酵』も『腐敗』も同じ。有機物に微生物が働いて、それで分解して新しい物質ができること。『腐ったもの』と『発酵食品』は区別できない。」
“本なれずし”→(塩漬けにした魚をごはんとともに長期間発酵させた日本古来の保存食。)
用意されたものは 原型がない。30年漬け込んだもの。
(30年ものの“すし”)
[リンク]:なれずし・馴れ寿司(JAPAN WEB MAGAZINE)
石毛:「ヨーグルトっていうのはある程度当たってて、これ『乳酸発酵』」
石毛:「もともと『すし』は保存食品だったが、お客さんの顔を見てから握りだす、『インスタント食品』に変わっちゃったんです。」
神田:「それだけではまだ終わりません。世界一においは強いといわれる、スウェーデンのにしんの缶詰、『シュールストレミング』」
田中:「うわ…缶が膨らんじゃって…」
石毛:「そう。 発酵して中で膨らんじゃって。」
“シュールストレミング”→(1・子持ちのニシンを塩漬けにしてまず2ヶ月ほど寝かせる。2・加熱、殺菌処理せずに缶に詰める。3・そうすると密封された缶の中で発酵が進み、強烈なにおいが発生する。)
神田:「注意書きが描いてある…」
“屋外で開缶してください。”
神田アナ屋上へ。服で完全防護。
屋上で食す 神田アナ。 ………。(笑)
石毛さん食べるの初めてで嬉々としている。
石毛:「かなり塩気が…。1匹あったらかなりお酒が飲めますね…。」
徳井:「味は……塩辛みたい。」
石毛:「食い慣れるとたいへんおいしく食べれる。」
ナレーション:勿論、スウェーデン人はシュールストレミングが大好き。
毎年8月 第3木曜日が解禁日。
このにおいこそがたまらなく食欲をそそるんだとか。
ブレイクタイム。
石毛:「アラミド・コーヒー。50gで1万円くらい。」
[リンク]:アラミドコーヒー(O.S.INTERNATIONAL)
なぜそんなに高級なのか。
石毛:「コーヒーのプランテーション……。そこに今近くに野生のジャコウネコがいる。…そのネコがですね、コーヒーの実を食べるわけです。ところが種は消化できない。」
太田:「ウンコ出すね。」
石毛:「そのジャコウネコのフンを集めて、それを洗って、その中から取り出したコーヒー豆。だから特別な いい香りがする。」
『怪』
石毛:「高級料理です。」
“土のスープ”。
土を食べる文化は世界各地にあるのだ。
土は アフリカ、アメリカ、カナダ、ニューカレドニア、インドネシア、ベトナムなど 世界各地で食されている。
ミネラルの補給源。スープのほか、蒸したり 焼いたりしてスナック代わりに食べることも。
[リンク]:土 (食材)
石毛:「終戦直後のたいへんな食糧難のころ 土を食いだしたんです。それで一番ウマいのはですね 壁の破れたところから出ている壁土。それをですね食べることを1年くらいやってた」
そして次に出された料理。
“鶏のトサカの白ワイン煮 赤ワインソース添え”。
鶏のトサカは フランス、スペイン、イタリア、中国などでよく食される。
徳井:「これ食えるんだ。。。」
石毛:「や、肉食をする人々は どこも余すことなく食べるのが普通なんです。それでこれ美容にいい。」
徳井:「かなりのコラーゲン質ですね。」(と言いながら食べ始める。)
太田:「どんな味?」
徳井:「ゼリー。『煮こごり』とかそういう感じ。」
石毛:「高知県ではトサカを焼き鳥ふうに出す店も。」
石毛:「そしたら『究極の珍品』……。」
“卵かけごはん”。
石毛:「『中国の人は何でも食う』って言うでしょ。だけど中国人は『日本人が生卵を食べる』と聞くと『あいつら おかしなもの食う』と言う。
:「それからヨーロッパやアメリカの人たちは『生卵を食べるのは蛇と日本人だけ』と言う。」
徳井:「前 海外行って、木を切って その間から出てくる虫をつまんで食ってる部族の人がいたんです。その人たちに『日本人は刺身、生の魚を食う』と言ったら、『オエッ!!』って。 ……要するにこういうことですよね。」
田中、卵のからで よって、黄身だけをごはんにかける。
石毛:「結局ね、自分たちが食べるものは『まっとう』で、自分たちが食べないものは『ゲテモノ』でおかしなものと評価するけど。文化をはかる これが正しいという物差しはない。全部こう相対的なもの。そういったものが食い物の世界にも…。 …結局は何がまともな食い物で何がゲテモノか世界中を判断する基準は、」
田中:「無いんですね。」
石毛:「まぁ、それぞれのですね。」
太田:「思い込みだよ。」
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
………、興味が無いことも無いんですが、正直 罰ゲーム感があるよね。。。
しかしながら、罰ゲームだとしても提示されたならば、食べられないこともないんだろうな っていうのはありますよね。
何故なら前置きで、『これはどこどこではポピュラーな食べ物なんだ!』って言われてしまえば、『そうか、食べたことある人がいるんだ…!』ってなって、口にすることが出来ると思うので。
前例があれば。
最後は価値観の話になりましたけど、結局はそこなんですね。まぁ、何事も…なのでしょうけど。
自分が正しいとされるものがあって、そうでないものはおかしなもの だと。
生き方一つ、文化・慣習一つ取ってみても、それまでの生活に根付いた感覚・価値観が常識であって普通であると。
自分がそれでいいとされる価値観があればそれでいいし、他者の価値観を許容できるならすればいいだけ。それだけの話なのかしらね。食文化にしてもね。
ところで、土が食べられるなら…食べられる土によるかもしれませんけど、もはや餓死なんてしないんじゃなかろうか。生きるうえで、何も食べ物を得ることが出来なくても…。
でもそこで土を食べようという気にならないのは、それまでの慣習にないものだから無意識に選択肢から外れているか、プライドを捨てるような感じになるからか、そうまでして生きたいとも思えないからか。
(別に土に限らず、雑草でも食べられるものは食べられるハズだし。)
固定観念がいろいろ阻んでるだけのことなのでしょうかね。
爆問学問・FILE172:「奇食屋台」を見ました。
ゲスト:石毛直道(いしげなおみち)・国立民族学博物館名誉教授。
徳井健太(とくいけんた)[平成ノブシコブシ]
(海外ロケの番組で様々なゲテモノを食したとされる。)
以下、番組内容メモ。↓
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
徳井、(これまででうまかったもの)カブトムシの幼虫。
石毛、これまでに 羊の内臓。オオトカゲ。など。
『危』
“サソリの素揚げ”。
石毛:「サソリは毒の弱いものが多い。」
徳井:「注意点としては口の中にいつまでもハサミが残る。」
石毛:「グロテスクにみえるものを食べることで、男らしさを強調する。」
“フグの卵巣のぬか漬け”。
石毛:「フグで一番毒が強いのは卵巣と肝」
:「フグの毒は青酸カリの一千倍。」
ぬか・こうじなどを加えて2年寝かせると毒が抜ける。
石毛:「縄文時代の貝塚から、フグの中でも一番毒が強いトラフグの骨がたくさん出るんです。縄文時代の人も食っていたに違いない。」
『臭』
石毛:「沖縄の「豆腐餻(とうふよう・“よう”の字は「食」へんに「羔」)」に似ている」
臭豆腐→(植物の汁や石灰を混ぜて発酵させた汁にひと晩ほど寝かせる。)
“臭豆腐の素揚げ”。
石毛:「発酵した食べ物は臭いがあるんですよ。」
石毛:「科学的に言ったら『発酵』も『腐敗』も同じ。有機物に微生物が働いて、それで分解して新しい物質ができること。『腐ったもの』と『発酵食品』は区別できない。」
“本なれずし”→(塩漬けにした魚をごはんとともに長期間発酵させた日本古来の保存食。)
用意されたものは 原型がない。30年漬け込んだもの。
(30年ものの“すし”)
[リンク]:なれずし・馴れ寿司(JAPAN WEB MAGAZINE)
石毛:「ヨーグルトっていうのはある程度当たってて、これ『乳酸発酵』」
石毛:「もともと『すし』は保存食品だったが、お客さんの顔を見てから握りだす、『インスタント食品』に変わっちゃったんです。」
神田:「それだけではまだ終わりません。世界一においは強いといわれる、スウェーデンのにしんの缶詰、『シュールストレミング』」
田中:「うわ…缶が膨らんじゃって…」
石毛:「そう。 発酵して中で膨らんじゃって。」
“シュールストレミング”→(1・子持ちのニシンを塩漬けにしてまず2ヶ月ほど寝かせる。2・加熱、殺菌処理せずに缶に詰める。3・そうすると密封された缶の中で発酵が進み、強烈なにおいが発生する。)
神田:「注意書きが描いてある…」
“屋外で開缶してください。”
神田アナ屋上へ。服で完全防護。
屋上で食す 神田アナ。 ………。(笑)
石毛さん食べるの初めてで嬉々としている。
石毛:「かなり塩気が…。1匹あったらかなりお酒が飲めますね…。」
徳井:「味は……塩辛みたい。」
石毛:「食い慣れるとたいへんおいしく食べれる。」
ナレーション:勿論、スウェーデン人はシュールストレミングが大好き。
毎年8月 第3木曜日が解禁日。
このにおいこそがたまらなく食欲をそそるんだとか。
ブレイクタイム。
石毛:「アラミド・コーヒー。50gで1万円くらい。」
[リンク]:アラミドコーヒー(O.S.INTERNATIONAL)
なぜそんなに高級なのか。
石毛:「コーヒーのプランテーション……。そこに今近くに野生のジャコウネコがいる。…そのネコがですね、コーヒーの実を食べるわけです。ところが種は消化できない。」
太田:「ウンコ出すね。」
石毛:「そのジャコウネコのフンを集めて、それを洗って、その中から取り出したコーヒー豆。だから特別な いい香りがする。」
『怪』
石毛:「高級料理です。」
“土のスープ”。
土を食べる文化は世界各地にあるのだ。
土は アフリカ、アメリカ、カナダ、ニューカレドニア、インドネシア、ベトナムなど 世界各地で食されている。
ミネラルの補給源。スープのほか、蒸したり 焼いたりしてスナック代わりに食べることも。
[リンク]:土 (食材)
石毛:「終戦直後のたいへんな食糧難のころ 土を食いだしたんです。それで一番ウマいのはですね 壁の破れたところから出ている壁土。それをですね食べることを1年くらいやってた」
そして次に出された料理。
“鶏のトサカの白ワイン煮 赤ワインソース添え”。
鶏のトサカは フランス、スペイン、イタリア、中国などでよく食される。
徳井:「これ食えるんだ。。。」
石毛:「や、肉食をする人々は どこも余すことなく食べるのが普通なんです。それでこれ美容にいい。」
徳井:「かなりのコラーゲン質ですね。」(と言いながら食べ始める。)
太田:「どんな味?」
徳井:「ゼリー。『煮こごり』とかそういう感じ。」
石毛:「高知県ではトサカを焼き鳥ふうに出す店も。」
石毛:「そしたら『究極の珍品』……。」
“卵かけごはん”。
石毛:「『中国の人は何でも食う』って言うでしょ。だけど中国人は『日本人が生卵を食べる』と聞くと『あいつら おかしなもの食う』と言う。
:「それからヨーロッパやアメリカの人たちは『生卵を食べるのは蛇と日本人だけ』と言う。」
徳井:「前 海外行って、木を切って その間から出てくる虫をつまんで食ってる部族の人がいたんです。その人たちに『日本人は刺身、生の魚を食う』と言ったら、『オエッ!!』って。 ……要するにこういうことですよね。」
田中、卵のからで よって、黄身だけをごはんにかける。
石毛:「結局ね、自分たちが食べるものは『まっとう』で、自分たちが食べないものは『ゲテモノ』でおかしなものと評価するけど。文化をはかる これが正しいという物差しはない。全部こう相対的なもの。そういったものが食い物の世界にも…。 …結局は何がまともな食い物で何がゲテモノか世界中を判断する基準は、」
田中:「無いんですね。」
石毛:「まぁ、それぞれのですね。」
太田:「思い込みだよ。」
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
………、興味が無いことも無いんですが、正直 罰ゲーム感があるよね。。。
しかしながら、罰ゲームだとしても提示されたならば、食べられないこともないんだろうな っていうのはありますよね。
何故なら前置きで、『これはどこどこではポピュラーな食べ物なんだ!』って言われてしまえば、『そうか、食べたことある人がいるんだ…!』ってなって、口にすることが出来ると思うので。
前例があれば。
最後は価値観の話になりましたけど、結局はそこなんですね。まぁ、何事も…なのでしょうけど。
自分が正しいとされるものがあって、そうでないものはおかしなもの だと。
生き方一つ、文化・慣習一つ取ってみても、それまでの生活に根付いた感覚・価値観が常識であって普通であると。
自分がそれでいいとされる価値観があればそれでいいし、他者の価値観を許容できるならすればいいだけ。それだけの話なのかしらね。食文化にしてもね。
ところで、土が食べられるなら…食べられる土によるかもしれませんけど、もはや餓死なんてしないんじゃなかろうか。生きるうえで、何も食べ物を得ることが出来なくても…。
でもそこで土を食べようという気にならないのは、それまでの慣習にないものだから無意識に選択肢から外れているか、プライドを捨てるような感じになるからか、そうまでして生きたいとも思えないからか。
(別に土に限らず、雑草でも食べられるものは食べられるハズだし。)
固定観念がいろいろ阻んでるだけのことなのでしょうかね。