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いつの頃か、カレンダーを見るのが煩わしい。
そろそろ新しい年になるというコトで、来年のカレンダーを準備したりする。

子どもの頃、「今年のこの日は何曜日だったけど、来年は何曜日だ」とか、「来年のここでは連休があるー」とか見てた。すっごい小さなコトなんだけどね。わくわくしてたんだと思う。未来に胸躍る じゃあないけどさ。
先々の予定を楽しみにしてたんだと思う。

勿論、過去エントリにも書いたように、子どもの頃はそんな別段楽しいことばっかりでもなかった。いじめもあったからね。…私の代じゃないけど、母校ではフツーに自殺者も出てますし。
けど、日を追えば、年を重ねれば、その不遇からも脱却できるんじゃないか? っていうのは小さいながらもあったかもしれない。だから今 生きてるんだし。

現在、最近のエントリにも書いたけど、上司のクソっぷりとか、往来する大人のアレっぷりとか・報じられる大人のアレっぷりとか。実に辟易する。



勿論、すごい方や、お世話になってる方。親切を下さる方も多くいらっしゃるので 有り難いやら申し訳ないやらという気持ちにはなるんですけどね。


但し、過去の心の負債なのか、ベース(基盤)がグラグラなので、“前提”が 不 安 定 なんですよね。
どうにもならないことが当たり前。というような。

常に 誰かに・何かに隷属し、ご機嫌を伺い、ただ それに従う っていう。
けど、それを逆に置き換えたらどうだろうか?とも思う。結局自分もそれを望んでしまってるだけなんじゃないか?と。共依存というか。
都合を満たし合う。条件を満たし合う。取引をする。

個々人の感性に従属する。個々人の都合に従属する。
過去もそうだったけど、今になってもそう。結局、他人の感性に自分の感性が・心が支配されたまま。
…こうして、批判めいたことを書くことも 意識してしまってるがゆえに。
従うことで殺していく自分の心が。その痛みが積み重なり続けていく。…従わなければ、生命の危機。

マイナスからのスタートを、萎縮しながらも満たす気持ちでギリギリの加算をしていってどうにか生き延びる。
…という、ただの惰性。

夢の無い、話。




自己実現欲求が最上位に位置していて、3大欲求すらも凌駕するほど。
それは個人の、自我にとっての喜びではない。

脆弱な“自分”から生み出される、批判と否定を糧にした低俗的生き様。

未だ胸張って自律し、誇りを持つこともできず、責任を放棄するだけ。方便を使い・言い訳を使って逃れ続ける。
ただ、惰性で生き続けるためだけに。
死んでいるのも同じだというのに。

所詮、死んでいるのに。

既に 死んでいるのに。

夢すら見ない、“催眠”の中。
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[2012/12/20 00:26] | 拙稿
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