小池龍之介 著、『仏教対人心理学読本』を読みました。
この前、『考えない練習』を読んで、著者の、違う本を読んでみたいなと思い色々ネットや書店で見て、この本がなかなか良いというコトで購入しました。
衝撃を受けました。
文中の語り口は飄々としている感じを受けるのですが、書かれてある内容は結構エグい。
『自分を受け入れてほしい』という“欲”。
これが尽きるコトがなく、
受け入れられなければ、悲しく、苦しく…怒りとなったり。
受け入れられればその嬉しさは“快楽”ともなるけど、その“快楽”は『自分には価値がある。』『自分は特別な存在だ!』という“慢”心。
…別にこれ、学生とかの小さな感じではなくて、大人であろうが何だろうが存在する感覚で。
“本当の自分”とか“アイデンティティ”と称されるものも、“三毒”とか“慢の煩悩”とかで。
例にあったコトからもわかりますけど、関係性が近い間柄だからこそ、相手に求めるものも大きい。
欲とか、我儘(わがまま)とか。
これ、よくわかるのよ。家族だから、あれこれ言う事聞いてくれなきゃイヤ! とか。否、聞 く べ き だ とか。
「友達だからそこは空気読んでくれよ」みたいなコトとかね。
それに応えるほうも無理が利いているワケで、“自分”を認めてもらうべくね。
『信頼でなく、依存』みたいなコトが出てくるんですよ。
もはやそこに良質な人間関係などなく、本書にもあったけど“商品価値”を取り引きし合ってるような ね。
この、ひたすらに巡る、欲や慢心の渇望。手に入れられなくて、受け入れてくれなくて不安になるわ。手に入れても、誰かに自分が受け入れられても、維持しなければいけなくて不安。つか苦痛。
もはや何が欲しいのやら、“受け入れてもらって嬉しい”という“自分”は何が受け入れられてるのか、何が自分なのやら って感じで。
で、さらには自分で心の中でうだうだとネガティブなコトを考えたり…。
『今日は友人と遊んだ。みんなノリが良くて(私の意図受け入れてくれて)とても楽しかった!』とか、『今日は上司が仕事を次々と押しつけやがって、私のコトなんて分かってくれてないんだ。仕事を抱えてて大変なのに…!』
…とかいう、脳内で勝手に気分の浮き沈みをしては、心の様子が“楽”になったり“苦”になったり。
これが心に刺激となって、“自分”を実感させてくれる。刺激に酔ってしまう。んだとか。
他人との比較で一喜一憂するのも。とか。
実際に私もあるんですよ。寝る前とかね。特に『寝なくちゃ』とか思ってる時に。
仕事のコトとか、人間関係のコトで、不安に思ったり、楽しかった時の記憶からの妄想で、あれこれ考えてなかなか寝れないで。
ところで森達也さんはよく、不安を煽るメディアについてよく書かれてますけど、
森さんの最近の日記にこういうのがありまして、
“低視聴率の番組は1クールを終えずに打ち切られる。刺激と即効性ばかりが求められる。
(~中略~)
これほどに支持率調査が頻繁に行われるようになった背景には、「自分の感覚はともかくとしてみんなはどう感じているのだろう」という意識が働いている。周囲が気になる。つまり集団化。一人よりも集団で動いたほうが気持ちがいい。エクスタシーがある。”
(以上引用。文脈が伝わりづらいようでしたら申し訳ない)
つまり刺激。しかし“自己”の“自我”の“集団化”で、自分の刺激を集団と同一化させることでさらに刺激を増幅させて、共感できている“私”は、“『自分』は此所に在る!”
と。さらに“慢”に拍車がかかる。
これでマーケット的に不安による購買欲まで誘ったらすごい出来た話だな…。
話が逸れましたが。
そもそもの原因は“無力感”だそうで、“自分らしさ”とか“オリジナル”というものは 無 い 。と。
“「そもそもこの『自我』『自分』というものは存在しない」という真理。”(P.230)
……これは刺さりましたね…。
“誰もが「自分など大して存在する価値もないのではないか」といった漠然とした不安に追い回されていて”(P.180)
そう。しかしそれはどこかで分かってるハズですよ。
使い捨ての物が溢れる時代で人間だけが使い捨ての流れから免れられるワケがない。(誰かがこんな言葉を言ってたような~…)
それを自覚していようといまいと、自分の存在のために“自分”を求め続ける。
だから『無条件の愛で』で、『あなたには価値がある』と 言 っ て ほ し い んだけど、終わりの方にあるように、“快”が働くとそこは慢の渇望。“苦”でしかなくなってしまう。
“快”が“苦”による幻覚だと気付いて、“苦”を減少させ、本当の慈しみを育んでいくことができたら~…。
と。
長くなってしまいました。
本の感想や引用などがございますが、つい留めておきたくなってしまいました。
なにより私が、あれこれうだうだ考えこんでしまって、意識が散漫になったりするのを避けれたらね。
基本、そこですよ。
欲しいものが本当に欲しいものかも分からないし、本書にもあった、やりたいこと…、“『本当にしたいこと』は 本当にしたいこと?”(P.216)も、私はずっと疑問だったことですからね。
“快”の幻想を除いて、見つめていけたら良いですね。
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仏教対人心理学読本 著者:小池龍之介 |
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