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ほぼ日の中の、山田ズーニー 著:おとなの小論文教室 から。

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私たちは、自分の想いを表現する訓練を受けていない。
だから、大人になっても、
自分の想いを出せない、出し方さえもわからないという人が
いっぱいだ。
(中略)
だからこそ、はやいうちに失敗を繰り返しながら
自己表現の出し方を覚えるのだ。

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根本は話すこと自体が、だけれど。

それこそ“話す”ことは親、兄弟からだろうし。そのほかの表現も、興味、関心から手法を得ていくのでしょう。

映画、音楽、漫画、歌舞伎など。伝統を継いだり、形式を踏まえたり。
そして新たな手法を生み出したり。

当たり前というか。今更なのですが。(^^;

“はやいうちに失敗を繰り返しながら
自己表現の出し方を覚えるのだ。”
と、ありますが、失敗はずっと続いていくのでしょうね。

辺見庸さんの言葉を借りるなら“言語域(言語圏)”が違う人とは絶えず出会っていくワケですし。
子どもから、ご年配の方まで。

表現している根本はきっと変わらない。
けれど、『手法』を求め合って。衝突したり、違う手法を要求・追究したりする。

相変わらず正解は無いけれど。それは『満足』として代用されるのでしょうか。
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