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西原理恵子 著、『生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント』を読みました。

『ぼくんち』『毎日かあさん』で知られる人気漫画家・西原理恵子さんが、波瀾万丈な人生経験をふまえて、恋愛、家族関係から仕事、おカネの問題まで、あらゆる悩みに答える「人生相談」エッセイです。主な項目は以下の通りです。「70社受けてもダメ。出口の見えない就活に疲れ果てました」「苦手な上司に毎日のように飲みに誘われます」「結婚して5年。妻がブクブク太っています」「夫が浮気しているようです。追及すべきでしょうか」「息子の部屋からロリコン漫画が出てきました」「60代の父が30代の女性を同棲。妙にやつれてきました」「頼まれるとイヤと言えない性格を何とかしたい」「夫が痴漢で逮捕されました。無実を信じたいのですが」「小銭を借りて返さない同僚に困っています」など。表紙カバーに西原さんのイラストが使われるほか、重松清、角田光代、しりあがり寿といった著名人からの相談に漫画で答えるコーナーもあるなど、文章でも絵でも楽しめます。 (amazon内容紹介より)


なんとなくamazonのランキング見てて気になったので購入。
サイバラさんの本をちゃんと読むのは実は初めてだったりします。


“わるいこと”に関して、最低限のところは守らなければいけない姿勢であったりなど、押さえるトコは押さえてる一方、男女の性にかんしては奔放さを推奨するとゆーアレっぷり。w

但し、弁えるところは弁えなきゃいけない。
……っていうところで、サイバラさん自身が不良だった学生時代の話も書かれてあるけど、

ただ、「つるむな」「壊すな」「盗むな」―――これだけはダメだと先輩の不良に教わった。それをやったら自分の子どもでも警察に通報するつもり。(P.80)


…というところなど、律するところの線引きがしっかりされてるな。と。


さまざまな相談・不安に対して 基本、『すぐ行動』というのがサイバラさんのアドバイス。
『相談する暇があるんだったら動きなさい!』ってなもんで、本書ではその手段をさまざまに紹介してるようなもの。
前、いじめについての言葉でサイバラさんの言葉が紹介されてるのを読んだのですが、そこでもウソをうまく使うことについて記されてありましたからね。
本書でもそれは健在で、自分が楽しく生きていくためにはウソも方便は必要なことで。

だいたい、独善的にふるまってる人によって、とばっちり喰らうような人はもぉ、うまく逃げたりとかとにかく生きていくための処世術を、いわゆる道徳的な行動とか誠実さから逸脱したとしても(上記に書いたとおり、あまりにもアレなコトはダメですけど)、とにかく自分が生きてくこととか、そういうことに頭を使ったほうがいいよ。っていうようなもので。

「ケータイ見たらダンナが浮気してるかも…」っていう相談に対して、
「そもそもケータイ見たアンタが悪い」とかね。
恋愛と結婚の違い というか、“棲み分け”かな。これについてもサイバラさんの道理に適ったことが記されてますね。
……なんていうか、フツーに結婚されてる奥様とかが韓流のイケメンにハマるようなもんじゃないですか。(たぶん) そのベクトルをどこに向けるかみたいな。


色々な相談の中で、とにかく体験・経験してみること、っていうのが多く語られてましたね。
その肝とも言える部分というか、本書を買うキッカケになったのは、子どもを産むかどうかの話のところで、

今、放射能がどうしたとかで「子ども産むのが不安」とかって話聞くけど、そんなの道歩いてたって車に轢かれるんだから。そうやって不安をたぐりよせて、何かのせいにして生きていっても楽しくない。(P.75)


……この青字にしたとこには惹かれましたね。


また、震災による何もできない無力感についての項の中の文で、

年寄りにいくら教育しても差別意識は直らない。(P.174)


というところ。

最近サイバラさんのサイトの『スナックさいばら・おんなのけものみち』のおひとりさまについてのトコを見たんですけど、その中で、


世間の習慣や思い込みって、ほんと、うっとおしい時ありますからね。

だけど、そこで文句ばっか言ってる人っていうのは
やっぱり腹がくくれてないんだと思うな。

生涯おひとり様でいようかなー、

それともやめようかなー、

自分が揺れてるから周りからやいやい言われる度に腹が立つ。

やっぱりね、自分で腹くくって努力してきた人は
周りが何言おうと関係ないんだと思うんです。


……というところですね。

周りの価値観に呑まれて、窮屈な思いしないようにしたいですね。
や、ホントこれに尽きますよ。

生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント (文春新書 868)生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント (文春新書 868)
(2012/07/20)
西原 理恵子

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[2012/08/20 00:36] | 書籍・雑誌
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永井均 著、『子どものための哲学対話』を読みました。

最近、宇宙とか自我とかについて色々調べ・考えあぐねていたら、一周回って永井哲学に辿り着き。amazon的に本書が入門書として最適というようなこともあり、購入しました。

超・面白かったです。

非常に考えさせられ、もともと思ってた・疑問を抱いていたところもありましたし、また共感もできましたし、共感するだけに留まることなく考えが溢れたりしました。

たとえば『人生体験マシン』についての項とか。
現実が不幸せで不都合な人生なら、ずっと『“良い人生”であるということをひたすら体験させる』機械。にせものの人生だけど非常に幸福で満足な世界に浸ったままでいられるとか。

これ、2chまとめの、
[リンク]:“この世が仮想現実である可能性について(哲学ニュースnwk)”
というスレもあったけど、まさに そういうのもあったりとか、

フジリューの短編集『WORLDS』収録の表題作も、そんな内容だったような。
(収録作の“WORLDS”では、夢の世界の“普通の世界”が仮想現実で、現実は暴漢だらけ殺人だらけの世界で、睡眠マシンで心地良い夢に浸ってればいい というだけの主人公。で結局は睡眠マシンのレベルを上げられて、夢すら見れない闇の中に主人公が行ってしまって完結。という話だったけど。)

……そういうの思い出しましたね。


主観、広義の認識、客観性など、視点がこれまで“普通”とされてきたものとは異なる立ち位置からのめくるめく考え・思想が溢れててとても面白い。
基本、“ぼく”と、ネコの“ペネトレ”の対話形式で、ペネトレの変化球に“ぼく”は納得したりうなったりするけど、当然『哲学するための本』ですので、別にペネトレの言ってることが正しいワケでは無く、ペネトレの言ってることを自分で解釈していく そういう面白みですね。

刺激的ですよ。
『友だちはいらない』の章のP.69に、

『人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべきなによりたいせつなことなんだ。』

とか、

P.22では、
『ただ存在しているだけで満ち足りている』

とか。
このへんのコト、私 すっごく思ってたことで、この言葉の、それ以上の感覚が一体何かと それをどこか求めてたのがありましたね。

なので、それを踏まえて、巻末の解説とあとがきが秀逸でした。
とらえようのない感覚を言葉で表そうとしてる時点で、感覚自体が鈍化してしまったり、感覚を言葉を使って表現する時点で、言葉自体が 持 っ て し ま っ て い る “意味”が一人歩きしてしまって 感覚が空虚なものになってしまったり。
解説のP.137で『何かの意味をめがけて、どっと人が押し寄せるのだ』と。
フランクル心理学的にも、『人間は意味を求めてしまうもの』だとあったような気がしますし。
また、その意味も個々で人の求める意味は異なるもののハズなのに、それを言葉で示してる…言葉という、共通認識可能なツールを用いてる時点で、その言葉が[転ばぬ先の杖]的に万能薬として扱われがちになってしまうことが誤りで。(いや別に本来は誤りであっても“構わない”のですが。)

言葉や出来事に“意味(共通認識の)”はあっても、“解釈(この場合、主に独自の。)”が個々多数人によって存在する限り、空虚を埋める術は当人一人のみのものとなるから。だから『存在してるだけでで満ち足りる』ことがどれほどのことか。っていうコトなんでしょうけどね。

そして腹話術的な会話形式についても興味深く。
まぁ、これも主観をズレさせるというか。キャラクターの持ち物にさせてしまう、っていうか。
で、その『邪悪な真理』を何故、腹話術形式で語らざるをえないのか、に関しては いくら語りえないものとはいえ どうなんだろう というのはあります。
それを思うのは、今現在・現代にて使われる言葉が、言葉の発信者が言葉自体を自分のものとして使っていない可能性があるからだと思ってるんですけどね。客観事実の垂れ流しや、諦観、主観の放任など。

それこそ本当に、人形に手を入れて腹話術やってるんじゃなく、図星や虚言を吐くネコがただ近くで喋ってるだけなのかもしれません。


子どものための哲学対話 (講談社文庫)子どものための哲学対話 (講談社文庫)
(2009/08/12)
永井 均、内田 かずひろ 他

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[2012/03/15 00:05] | 書籍・雑誌
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2012 01 27 それでも人生にイエスと言う


V・E・フランクル 著、『それでも人生にイエスと言う』を読みました。

キッカケとしては以前、諸富祥彦さんの『人生に意味はあるか』を読んで、フランクル哲学の一端に触れたこと。

本書は“生きる意味”を問う上で世界的に有名な書物であることは存じておりましたが、本屋にて『意味への意志』の帯を見て、“人間は意味を求める生物である”(…だったと思います……。)という文を読んで惹かれたので、取り敢えずこの本を読んでおこう と思いました。

ナチスによる強制収容所の体験として全世界に衝撃を与えた『夜と霧』の著者が、その体験と思索を踏まえてすべての悩める人に「人生を肯定する」ことを訴えた感動の講演集。
『夜と霧』の著者として、また実存分析を創始した精神医学者として知られるフランクル。第二次大戦中、ナチス強制収容所の地獄に等しい体験をした彼は、その後、人間の実存を見つめ、精神の尊厳を重視した独自の思想を展開した。本講演集は、平易な言葉でその体験と思索を語った万人向けの書であり、苦悩を抱えている人のみならず、ニヒリズムに陥っている現代人すべてにとっての救いの書である。
(amazon商品説明より)


先ず思ったのが、第二次大戦後でありながら、フランクルが憂いている世界・社会の実情が現在の状況とさして代わり映えしないんじゃないかと思わせられたこと。
“生きる意味の喪失”、人がモノであるかのように、人間自体が労働の手段自体として扱われること。
“「生産的」ではなくなった生命はすべて、文字どおり「生きる価値がない」とみなされたということです。”(P.7)

…あぁ、もぉこんな昔からそういう空気が意識が漂ってしまってたんですね。
逆に言うと、戦後…に講演されたものとはいえ…本書が出版されたのが1993年ですけど、それから20年あまりも、そう思わせられる状況、そう思ってしまう人が多くいる…というのは、時代として何も変わってないという失望感はのっけから感じますね。
“一般的な進歩はせいぜい技術的な進歩。”“何が進歩するのか、ひとりひとりの内面の進歩しかないということです。”(P.9 要約抜粋)
これもずっと色んな本から読んで思ってきたこと。
技術が進歩してるから、人間の人格・性格も過去に比べて進化してるように勘違いしてしまう……というような。


さて自殺の理由について。
”そもそも生きる意味がまったく信じられないという理由で自殺します。”(P.21)
と。ここで触れられていたのは、自殺を決断する際の思考として、人生を『決算』すると。これ以上生きてても、何も見通しがない。ということ。有意味性を感じられないから…というコトを示されてると思うのです。

で、その意味については以下のページで、“無期懲役の囚人が船で移動時に海難事故に遭遇して、救助活動を行い減刑された”(P.28)こと。 “チェスの盤での駒の運び方のようにその局面局面によって「良い手」は異なる。だから「唯一の良い手」というのは無い”(P.30)
というような、そのときどきで、意味を与えるものが出てくると。

このエントリの冒頭に示した諸富さんの書籍を読んで…というのは、『私が人生の意味はあるかと問うのでは無い。人生が私に意味を問うているのだ。』というフランクルの言葉がその本に用いられていて、それが引っかかっていたのですが、上記の囚人やチェスの例にある、そういうコトを示していたのか、というのは、頭の上で、理解としては可能となりました。


……しかし、
ネガティブな精神状態に至っているときには、どのような意味を持つものも、意味を与えてくれるものも、一切全てがどうでもいいものになってしまう。
逆に、有意味性のある出来事を体験したこと自体が、その後の自分の心が虚無に感じてしまうような。
『悪いことがあったら次は良いことがある』というポジティブ思考ではなく、『悪いことは続く』とか、その有意味の体験をしたことによって『良いことがあったんだから(海難事故の救助に“自分が役に立ったという感覚を得られた”だけ、または“褒められた、恩赦を誰かから受けた”としても。)次は悪いことがある』というような、

自らが、不幸体験を重ねることで安心感を得てしまうような。『あぁ、だから私はダメなんだ』という一種のヒロイズムに浸るような。……それはおそらく過去の因果から、幸福であるという体験が…それに伴う生きる意味を感じさせるような感覚が元来無かった・積み重ねてこれなかったから、生きる意味を肯定的に感じることが出来ないことも考えられるのではないでしょうか。

“チェスの盤面をひっくり返す”(P.45) …ようなことも、やりたくなってしまうものです。チェスのゲームを人生に喩えて、チェスの駒を一つずつ考え進めていくのが人生で、随所対応していくものだから、テーブル返しのような行為は違反だとしても、じゃあ何故チェスを始めたのか、人生というゲームを何故始めたのか。
…チェスを始める前から、人生を始める前、生まれる前からそれを・人生に臨むことを望んで生まれてきた
とか言うのでしょうか。(そのような記述は本書には無かったです。)

本書の小見出しの一つ取ってみても、“人間は楽しみのために生きているのではない。”(P.22)とか、“しあわせは目標ではなく、結果にすぎない。”(P.25)と記されてあります。
しかし挙げられるのは、その『しあわせ』と称するものや、『人生』と称するものは、その瞬間瞬間に偶発的に感じられるものとあり、たとえ過去のトラウマから現実に体験する・一見『自分というものを肯定してくれる出来事』自体に全く『幸福』や、『意味』を見出せなかったとしても、それは時間をかけて氷解させていく …ということになるのでしょうか。

意味を感じられない出来事の意味を書き換えていく。
…とか。



(読んでいて、多角的視点から如何に肯定的に人生を捉えていくかが明記されてましたが、どうしても…小さなことかもしれませんが、ツッコミたくなってしまう箇所も出てきてしまいます。以下、長くなるかもしれませんが、さらに挙げてまいります。)


仕事・経済的な状況について。
なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだということです。(中略)各人の具体的な活動範囲内では、ひとりひとりの人間がかけがえなく代理不可能なのです。”(P.32)
そして次のページでは、失業者の場合や、ベルトコンベアーで単純作業の労働者の場合について、
余暇でこそはじめて、意味のあるものに形成され、個性的で人間的な意味で満たされます。”(P.33) と。
たぶん、仕事自体が人間の有意味性を持つだけではないし、そうではないものによって人生の意味を構築できる人もいる。人生において、意味の感じ方は人によって異なる(さきほどのチェスの盤面局面然りだと思いますが。)ということでしょうね。
で、経済的苦境に伴う、飢えの問題について、
もし飢えになにか意味がありさえするなら、きっとまた進んで飢えを忍ぶものだ”(P.34)
これに関しては疑問です。
日本でも近年の問題で失業者・低所得労働者が溢れ、生活保護すら受けられない人…、『「おにぎり食べたい」と日記残し…』…て、亡くなった人というニュースもありましたし。

[リンク]:『「おにぎり食べたい」と日記残し…働けないのに働けと言われ、生活保護を辞退した男性、自宅で死亡』(2007年7月11日・痛いニュース)

また同じ意味で病気について、本書では第2章“病を超えて”の中の、項目とすれば P.74からの“多忙な広告デザイナーだった男性が突然脊髄の腫瘍を患った”ことについて挙げられてる点。

徐々に自分自身の身体機能が思うようにいかない中、それでも最善を尽くしていく、自己表出を続けていく、という、決して、健常な状態から重篤な病気になったコトによって悲観的にならず、『今、できること』を尽くしておられる姿勢はすごいし驚きさえすることではありますが、どうしてもその際の治療費とか維持費とかを考えてしまう。
それが本書では明記されてなかった。
重篤な疾患の場合、まして例のあまり無い病気の場合、なかなか病院でその病気がなんなのか判明することも難しいし、障害者認定がどうなのかという問題もその書類でのたいへんさもある。
(このあたりは大野更紗さんの『困ってるひと』を読むと理解のバランスが取れるのかもしれませんが。)

先天的に重篤な病気の状態で生まれた子どもについて(P.104),愛情を注ぐということ、その代え難き愛情とその存在の意味はとても理解できます。一心に働いてお金を稼ぐことも。

けど、そのまま年を重ねていき…『重度障害の62歳長女の首を絞めて殺す…85歳母を逮捕 「介護に疲れた」
』というニュースも最近あったり。

[リンク]:『重度障害の62歳長女の首を絞めて殺す…85歳母を逮捕 「介護に疲れた」 』(2012年1月12日・アルファルファモザイク)

支える側がどうしても持たないこともある。
精神的な面から施設に入りたがらない人、入れても家に戻ってきてしまう人もいるだろうし。(ご年配ともなると長年暮らしてきた慣れ親しんだ家を離れたくない。というのがありますからね。それは震災によることで思う人も多いでしょうが。)それを支える家族はお金も稼ぎつつ家族も支えつつ。
また介護施設自体…そこで働いてみえる方の苦労・大変さもなんとも言えない。給料も少ないでしょうし。第三次産業って人に接する…ある意味今の時代に求められるグローバルな人材の根幹とも言える…コミュニケーションを図れる人材が(多国籍語を話せるの是非ではなく。言 葉 が 相 手 に 届 く か が 重 要 。)薄給で過度な働きをしているのは如何なものかとも思いますし。

さてもちろん、病気になることで精神的に得られるものもありましょう。
“生”に対して“死”があるからこそなにか活動的に物事を為そうという気にもなりましょう。
生命が生まれ、老いていく過程で、出来ることが限られていく必然の枠組みの中で、病気などによりその活動が制限される中で…ただ、“自分”が可能な本分を尽くしていくのは真っ当なコトだと思います。

ただ、
経済的な事情、生まれ持ってある能力、自身が存在するその周りの環境。
それが生まれ持ってある、言うなれば、運命とも称してしまう境遇が 社会的な事情により閉口の経過を辿ることも必然ということになってしまうのでしょうか。


『生産的な行為が出来ない人間は咎められる存在か』について、
経済を循環させるために生産や消費活動ができない人は生きてる意味が無いのか。
労働力を産み出すことの出来ない人は生きてる意味が無いのか、という点。

“国家は「非生産的」な個人を殺害する義務があるという反論”(P.99)の項についてでは、食品や労働力をシェアすることの旨が記されてました。
必要品を節約するために、パーセンテージからするとごくわずかな不治の患者を殺害するという手段に頼らざるをえないほど、経済的に悪化している国家は、経済がどっちみちとうの昔にだめになっているのです。”(P.100)

……これはどうなんでしょう。。。思うのは、持ってる人はいつまでも抱えて、循環がしない、行き渡らないんじゃないかという懸念もあるんですよね。だから いらんコトで『節約』してしまってると思うので。

たとえば今の日本はそのあたり微妙なバランスで、東日本大震災で食糧が不足した中での分け与えあったという話を聞く一方で、どこかの会社の偉い方々は自分達ばかり利回りのいいことしか考えない。

また、非生産的というか、国家に対して、社会に対して、ある一つの人間関係の集団において、害悪しかもたらさない存在……というのは考えうることなのでしょうか。
誰しも生きる意味がある? 大阪の学校に入って無差別したあの犯人にも?(亡くなりましたが。)
拉致をしたどこかの元首も?(亡くなりましたが。)


精神疾患により…それが先天的でも後天的でも…そうなってしまった場合、当人の中での常識や善悪の分別があまりにも著しく乖離している場合。
…またそうなってしまった身内を抱えた場合の意味をどう問おう。

なるべくしてなったもの?それすらも受け容れて?

このあたりはよく分からないですね。



第3章、主に、選択したことによる、現実に与えた影響についてだと思われますが。

“おそろしいのは、瞬間ごとにつぎの瞬間に対して責任があることを知ることです。”(P.160)
人生は選択の連続である という言葉を示唆するようなことですが、選択していないほうは、永遠にその可能性が失われるものとして、逆に選択したほうは、『私』が日常の中に存在として起こしたこと。その劇的な面白さが見受けられるということでしょうか。

“責任のよろこび”という小見出しがついていますが、人の選択はその場その場において無自覚です。
収容所から出てこれなかった人もいるであろう中で、フランクル氏が生きて帰ってこれた。誰かの采配の中の選択として生かされている ということへの自覚は、なかなか感じにくいものかと思います。





本書では記されませんでしたが…“苦悩は比較できない”というところに書いてあったくらいかもしれませんが、幸福な状況を比べること、日常の個人的な事情、唯一性を比べること自体が、いかに無意味であるかというのは考え得ることではないでしょうか。

しかし、
2章の最後に“世界はまったく無意味だというのも、世界のすべてが有意味だというのも、同じく正当な主張です。”(P.112)
3章の後半のほうでは、
「無」か「神」かという選択について(中略)神はすべてにしてかつ無であるからです。「すべて」を凝固させ概念にしてとらえると、溶けて「無」になってしまいます。それに対して、「無」は正しく理解しさえすれば、結局それは捉えられないもの、ことばでいい表せないものであり、そういうものとして私たちにすべてを語るのです。”(P.157)


正直、これが絶望的状況下において「それでも」と前を向いて歩けるものとなるかは厳しいかもしれません。
「生きる意味が無い」ことも、レトリックとして 「無」が翻って意味を持つものと考えられなくも無いです。
しかしながら、意味を求めざるをえない人間という生物が、少しでも意味を感じる、その一端でも担うときがくるかもしれないため、本書は少なからず 生きるよろこびを知るキッカケとなるかもしれませんね。


巻末の著者解説も面白かったです。
ニーチェの永劫回帰説も踏まえつつ……苦しみが繰り返される中にも…仮に、自分を必要としてくれる人が誰もいなかったとしても、それでも今から先を歩む上で出合う『人生』に、『必要』が求められることは完全否定できないから。

それでも人生にイエスと言うそれでも人生にイエスと言う
(1993/12/25)
V.E. フランクル

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[2012/01/27 23:30] | 書籍・雑誌
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みうらじゅん,リリー・フランキー 共著、『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』を読みました。

なによりキッカケとしては、私がかなり前に、小林よしのり氏が編集を務める『わしズム』の“不安”についての特集号を買った際、
…その中で各執筆陣は、それぞれの抱く“不安”が自身のページの最後に記載されていて、その中に みうらじゅんさんもみえて、挙げられてた不安は、
「死ぬの初めてなんで不安ですね。」
みたいな主旨のことが書いてありまして(正確な文面じゃないですよ)。(笑)

いやいや、初めても何も、死ぬの体験するの1回こっきりですから!w
…などと当たり前のツッコミを思ったものです。。。

で、そんなある種 達観してるとも言える視点が本書でも垣間見られるんじゃないかと思いまして購入した次第です。


まぁ この2人が話してることなんで、殆どが下ネタだったりするんですが、人生訓として、その考え方の根底にあるのは仏教ですね。みうらじゅんさんが居るんですから当然そういう傾向になるんですが、リリー・フランキーさんも。
“今”を大事にすること っていうかね。
というか、このお2人が若かった頃のエピソードもチラホラ書かれてありますが、仕送り貰ってたとか、消費者金融から借りてたとか。

フツー、そういう状況だと手詰まりになるもので、将来とか未来とか真っ暗に思ってしまうのですが、
お2人は別にそれを経ても尚 今の立ち位置に居らっしゃる。

結果を見据えて何かを行うワケではなく、例えば仕事についての章で、
みうら:「『飽きないふりをする』ということが大事」
リリー:「結果ではなく、やり続けることの達成感そのものも やりがいの一つ」
とか。

自己表現について、
リリー:「自分がオリジナルになろうと思っても、もはや新しいものなどない。まずは『発明する必要はない』と思うことが重要」
など。

どこかやはり仏教的なんですよね。けどそこまでカッチリしてるわけじゃなく。非常に緩く。
(そのユルい捉え方が尚、説得力を増すんですよねぇ。(笑))

自尊心と羞恥心について、
みうら:「プライドは無いにこしたことはない。」
とか、
『人間とは』について、みうら:「不安定なときは考えないようにすべき」
と。
ま、不安定な…不安な時こそ、
『仕事とは…』とか、『人生とは…』とか、『人間とは』とか考えがちで、で既存の“幸福”や“普通”に絡め捕られて、思考が膠着して動けなくなってしまうからね。


あとがきでリリーさんの言葉にあったおばあちゃんの話とかね、
「『今際(いまわ)』を豊かに過ごしたいと思って、みんな『今』を貧しく生きてる」
って。

みうら:「人生の目的って、どうやら無い、と聞くよ。(笑)」
リリー:「らしいですね…。(笑)」
とかとか。
意味に囚われたり、目的を重視し過ぎるあまり今を見失ったり、自分の執着するアホらしいコトに勝手に怒ったり。
計画は立てても破綻するものだし。
それでも病気になったり、……どうやら人は死ぬみたいだし。

考え方に固執したり、考えることに固執したりで苦しくなって死にたくなったりしちゃうものだからねぇ。


本書、結構大切なコト書いてあるけど、あまりに軽妙すぎてまさに『聞き逃す』というか。(笑)
チ☆コの話とか『土を逆から読んで膣』とかの方が頭に残ってたら、みうらさんとリリーさんの素晴らしい大人の格言が違ったインプットをされかねないけどね。(笑)
まぁそういうコト考えてた方が幸福ならそれで良い っていう。ただそれだけですが。



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[2011/12/26 00:29] | 書籍・雑誌
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乙武洋匡 著、『オトことば。』を読みました。

twitterでの乙武さんのやりとりをまとめられたもの。
構成としてはページに大きく字を表示してあり、主に右ページに質問があって “めくり”でそれに対してのレスが書かれています。

私は乙武さんのtwitterをまともに見てないんですが、本書のやりとりを見ただけでも十分面白かったですよ。

ノムさんの言葉を引用して、『“暗い”とか感情の出し方が苦手なだけです』とかいう主旨の発言がありましたけど。むしろなんで乙武さんそんな前向きに行動しておられるんでしょうね。

twitter上でも、突っかかったリプライとかにもちゃんと応じてたりするそうで、無視すればいいのにね。

全ての回答…考え方が、すごく主体的で、価値観をなにかに依存してないんですよねぇ。
『五体不満足』だからこそ、この自分であるからこそ 色々な経験を出来るという幸福。…なんていう考えにどうして至れるのか不思議というか。



価値観は自分で持って、その生き方が出来ればいいのに、『~べき』『~しなければ』というようなものに振り回されてしまう。大きな声(力)を持つ人がいたらその人の制する空気に呑まれてしまう。弱い人なんて特に。
この弱さすらも個性として主体的に流されながら(本音は流されたり、他人の価値観のレールで染められて生きるなんてイヤなのに、従わざるを得ない“空気”の圧力を受けて)生きていく?

『生きる意味はなんですか?』に、その答えとして『自分の人生を人に尋ねるの?』というのはもっともな話。
(早稲田志望の人に厳しい目のアドバイスして結果的に受かった ってのはあったけどさ。)
けどそれが分からなかったり、ルールに無意識に従ってしまってたりで、迷ってる人の多いこと。
(例に漏れず 私もなー)
主体的に ポジティブに心を整えておられる作法でもあれば知りたいものです。


一方で、震災後のツイートに関して、不謹慎厨に応じてみせたレスは見事というか。w
それもまさに『~すべき』みたいな空気に一石を投じたものでしょうかね。


まぁ、なんというか、なんでそこまで物事を主体的に且つ ポジティブにアクティブに考えて行動されておられるかが不思議というか疑問というか。
乙武さんの持つ空気に触れてみたいですよ。えぇ。


それはさておき、エロいことについてもちゃんと有り。
『乳を揉む手が無い』とか言って、触覚とそれ以外の五感を鋭敏に機能させ働かせてるんでしょ☆
(たとえば頭部…顔面を…ゲフンゲフン



オトことば。オトことば。
(2011/11/11)
乙武 洋匡

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[2011/12/19 00:37] | 書籍・雑誌
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